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新型出生前診断の新しい流れ2021年03月16日 23時19分09秒

今日の読売新聞オンラインによると
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厚生労働省は、胎児がダウン症かどうかなどを調べる出生前検査について、全ての妊婦を対象に、情報提供をする方針を固めた。カウンセリング体制の不備などの課題があったため、国は医師が妊婦に積極的に知らせる必要はないとの見解を示していたが、約20年ぶりに方針転換する。
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とのことです。
実際には保健師さんが対面でパンフレットを使って説明するそうですが、そうしたカウンセラーに近い役割を果たせるでしょうか?
新型出生前診断で分かるのは、主にダウン症です。
ダウン症は、数ある障害の中のほんの一部に過ぎません。また障害もとりわけ重いものでもありません。
なぜ、ダウン症が検査のターゲットになっているかというと、「ダウン症ならば検査可能」だからに過ぎません。
ダウン症の子が生まれてきた方がいいのか、悪いのか、そういう熟慮の末に開発された検査法ではありません。

障害というのは、妊娠中から分かるものばかりではありません。重い知的障害を伴う自閉症の子は、1歳半くらいにならないと診断がつきません。
強度の行動障害を伴ったりすると、親の負担は大変なものがあります。ダウン症のケアとは、次元が異なります。

さて、出生前診断を受けることは、母親の「知る権利」のうちに入るでしょう。
では、21トリソミー(=ダウン症)の胎児を中絶することは許されるのでしょうか?
まず、そもそも、中絶というのはいかなる理由があっても「道徳的に立派な行為」ではありません。
ましてや、障害を理由に胎児を中絶することは日本の法律で禁じられています。
それでも法を拡大解釈して中絶をして、親は幸せになれるのでしょうか? 若いうちは平気かもしれませんが、10年、20年と時間が経ってから苦しみと悔いが増強してくるのではないでしょうか?
そして、こうした検査→中絶みたいなことが一般的になると、今を生きている障害者の権利を圧迫することも知っておく必要があります。
22週未満の胎児は確かに自力で生きることはほぼ不可能です。しかし、人として生きる権利の萌芽は持っています。
よく産科の先生は、「悩まないで検査を受ける妊婦もいないし、悩まないで中絶を選ぶ妊婦もいない」と言います。
だから、検査→中絶は許される(あるいは、やむをえない)という意見なのだと思いますが、「悩んだから」という理由で中絶が許容され、胎児の生命が絶たれるのはちょっと生命に対して畏敬の念が薄すぎるように思えます。
ダウン症の子を育てるのが、不幸だとか、負担だとか言い切るのは、あまりにも軽薄です。
ダウン症の子ども達は、この社会にたくさんいます。ぜひ、ダウン症の子を持つ家族に出会ってください。そしてその家族が不幸かどうか、自分の目で確かめてください。