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がんと生き、母になる 死産を受け止めて(村上 睦美)2020年10月15日 11時26分04秒

がんと生き、母になる 死産を受け止めて
闘病記で最も大事なことは、自分の心の中をとことん掘り下げることです。
そういう意味において、本作は闘病記として非常に奥行きのある出来になっています。
ただ、文学作品ということから離れて、著者の選んだ生き方を考えると、ちょっと賛同できない。
夫が反対しているのに、凍結受精卵を子宮に戻すなど、健康な人であれば何の問題もありませんが、難病を抱えた人がやることではないでしょう。
実際、ご主人が著者を詰っていました。
もし、著者が出産で命を落としたら、残った家族はどうなるのでしょうか?
悪性リンパ腫の主治医にも内緒に妊娠するって・・・ぼくが主治医なら、とうてい許すことはできない話ですね。
帝王切開の日にちを「仏滅」だから変更してくれとお願いする場面とか、こうしたことで医者に余計な仕事を増やさないで欲しいと思います。それから勝手にプレドニンの量を減らすとか。

著者は双子のうち、ひとりが子宮内胎児死亡になります。この死産を著者は数年にわたって引きずります。
ここの部分ははっきり言って感情移入できませんでした。
ぼくら夫婦も死産の経験があります。火葬してお墓を作って、今でも悲しい思いがあります。
家内は墓参りに行こうとしません。悲しいからでしょう。
でも、この著者の執着はちょっと読んでいて痛々しく、あまりにも個人的過ぎる感情だと感じました。
読者が置いていかれるというか。

闘病記というのは、個人の究極を描くことで一般性を獲得できることがよくあるのですが、本書は極めてプライベートな1冊だったような気がします。
最後まで読ませる力は見事だと思いますが、あまりにも痛々しい描写は読者を選ぶでしょう。
最後に蛇足。
現在、闘病記は、ネットの情報過多もあり、あまり売れないそうです。
特に読んでいて、切ない、痛い、つらいものは大手出版社は本を出さない傾向にあるようです。
ぼくも書きたい話があるのですが、今のところ話に乗ってくれる出版社はありません。

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