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「脳性まひ者 横田弘 半生を語る」2014年12月11日 20時24分28秒

「脳性まひ者 横田弘 半生を語る」
NHK千葉放送局で見たもう一本のビデオは、「共に生きる明日  ありのままに生きたい 脳性まひ者・横田弘 半生を語る」です。
放送日は1998年10月15日。当時、横田さんは65歳。

「青い芝の会」の行動綱領は以下の4つです。知っている人も多いと思いますが、敢えて書きます(数字はぼくが勝手に付けました)。

1 我らは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する
2 我らは、強烈な自己主張を行なう
3 我らは、愛と正義を否定する
4 我らは、問題解決の路を選ばない

この言葉を知った時、松永青年は、3を読んでびっくりしてしまいました。
なぜ愛と正義を否定するのでしょう?
1970年代は障害児殺しが頻発し、そうした殺人は「愛」という名のもとに行われていたからです。
つまり、「この子は可哀想だから死んだ方が幸せ」。
そんな理屈で親が子どもを殺していました。
親は執行猶予ですんだり、場合によっては起訴さえされませんでした。
横田さんたちはそうした状況に恐怖と危機をおぼえました。このままでは今度は自分たちが殺されると。

それ故、「青い芝の会」は2の強烈な自己主張をしました。
どうやって解決するかというと、なんと4です。
お前たち、健全者が考えろというのです。これも強烈ですね。

ですが、横田さんは1が最も重要だと言います。
障害者は場合によっては、健全者に取り込まれ、何か努力をしたりすると自分が健全者になったように「誤解」してしまう。
それは幻想であると横田さんは厳しく警鐘を鳴らします。
障害者は健全者にはなれない。そのことを自覚した時に、障害者運動が始まると説くのです。

横田さんは言います。
「障害者で何が悪いの?
普通の学校に行っちゃいけないの?
生まれちゃいけないの?
障害者で構わないんじゃないの?
このまま生きていて良いんじゃないの?」
こうした想いや欲求は、横田さんにとっては当たり前のことでした。

さて、「青い芝の会」が闘う障害者集団となってから、およそ40年が経ちました。社会は変わったでしょうか?
ぼくは、少しずつ確実に進歩していると思います。
ただ、もっとも進歩が遅れている面は、「私たちの偏見」という心の部分だと思います。

横田弘さんは、2013年6月3日にお亡くなりになりました。80歳でした。
偉大な思想家だと思います。