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日本最初の自立障害者・高野岳志「ある生の記録」2014年12月10日 19時47分48秒

日本最初の自立障害者・高野岳志「ある生の記録」
午後からNHK千葉放送局へ行ってきました。番組公開ライブラリーを視聴するためです。

最初に見たのは「ある生の記録」。昭和47年12月1日に放映された番組です。
ドキュメントの主人公は、高野岳志さん。この当時、中学3年生。
茨城県石岡から、親元を離れて、千葉県四街道市の下志津病院へやってきたのです。
彼の病気は、デュシェンヌ型筋ジストロフィー。映像の彼は、歩行することはできず、這って進むか車いすで移動していました。

この病気は当時も今も治らない難病です。
人工呼吸器の発達によって、生命予後は長くなりましたが、完治することはありません。特に心筋症が最終的な予後を決めます。
患者は常に生命の限界を若い頃から考えなければなりません。

その彼が「生きるとは何?」と聞かれます。
高野さんの答えは「全力投球すること」でした。
これを意訳すると、こうなります。
「生きるとは何?」という問いかけは、生きる意味を尋ねているのですね。それに対する答えが「全力投球」ですから、これは筋ジスの患者にとっては「生きる」と同義語です。
つまり、人間にとって「生きる目的とは生きる」ことなんです。

何か高邁な理想とか目標があって生きるとは限らない。
人は生きること自体が、人を人たらしめ、そして生きる価値を作っている。
だから人間の尊厳とは何か?と問われたら、ぼくは、生きることが尊厳であり、人間であることが人間の尊厳だと答えます。

寝たきりでも、意識がなくても、人工呼吸器で呼吸のサポートを受けていても、そこに人間が存在していれば、人間の尊厳があります。
違った言い方をすれば「尊厳死」という言葉は自家撞着を起こしていると思います。
そういうことを高野さんは教えていると思います。

両腕を使って必死になって食卓に這い上がる姿でドキュメント番組は終わっていますが、実はこの後にドラマがあるんです。

高野さんは養護学校に高等部を作ることを要望し、それが実現して進学します。
さらに法政大学の通信教育を2年間受けます。
そして周囲の反対を押し切って24歳の時に自立生活に挑みます。
アパートを借りて、介護ボランティアと共同生活に入り、電動車いすでリヤカーを引き、取れたて野菜を売ったり、廃品回収をおこなって収入を得ます。

高野さんは言います。
「みんなは無謀と思うかもしれない。
だけど、病院の中で生命体のみとして生きたくない。
社会の中で自分の可能性を試してみたい。
医療管理に身を任せたくなかった。
だからどうしても自立生活を経験したかった。
つまり簡単に言えば、普通に生きたかった」

高野さんの生き方は、日本で最初の自立障害者の姿とも言われています。
できればそうした自立生活を映像で見たかったのですが、残念ながら、記録には残っていませんでした。

高野さんは26歳で、全力投球の生涯を終えることになります。

(次回は、もう一作見たドキュメント。横田弘さんの記録について書きます)