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僕もノーベル賞が欲しい2014年10月10日 22時06分43秒

日本人がノーベル賞を獲るたびに憂鬱な気持ちになります。
ああ、僕も医者など辞めて研究の道を歩んでノーベル賞を目指せばよかったと。

僕が医者を辞めようかと考えたのは、医者になって4年目。
大学院に進学して2年目のことでした。

大学院での研究が(デッドロックに乗り上げた数カ月はありましたが)非常に順調だったので、このまま世界と勝負したいという気持ちが大変強くなりました。
研究をおこなっていた分子ウイルス学教室の教授からも、ポストを用意するから小児外科を辞めて研究室に残らないかと誘われました。

当時、相当迷いましたが、小児外科の上司の引き留めもあり、結局は医者を続けた訳です。
研究者になるということは、世界の頂点を目指すということですから、ある意味、研究者とは全員がノーベル賞を狙っているとも言えます。
研究には才能も努力も、そして運も必要ですから、誰がノーベル賞を獲得するかなど将来を予測できる人などいません。

ぼくが研究生活を送っていた同時代に、ツール・ハウゼンやキャリー・マリスがいますが、彼らがノーベル賞を獲るとは思わなかった。
逆にロバート・ワインバーグやバート・フォーゲルシュタインがノーベル賞を獲れなかったのは意外でした。

さて、今回、物理学賞を青色LEDの開発の業績で日本人が受賞しました。
例によって我が祖国の総理大臣は「人材こそが我が国の世界に誇る資源」などと、ナショナリズムを煽って、政治利用し、結果、自分の支持率を上げ、我欲を満たそうとしています。
しかしちょっと考えて欲しいのは、中村先生は日本という国に呆れ果てて、日本を捨ててアメリカ国籍を取り、当地の教授になっているという事実です。

利根川進先生の「免疫の多様性」を解き明かした発見はノーベル委員会から「100年に1度の発見」と賛辞を受けましたが、利根川先生だって日本に居場所がなかった。

つまり個人の努力でノーベル賞を掴んだのに、政治の権力者が自分らの手柄のように言うのは、大変「せこい」と思います。

中村先生の日亜化学との200億円訴訟を見てもわかるように、日本というのはとにかく「出る杭を打つ」文化があります。
こうした文化は、運動部の「体罰」とか「医者の父権主義」とかに深く通じているでしょう。

メディアは何をやっているのでしょうか?
今こそ、中村先生の名誉回復に、あの裁判のことをもう一度徹底的に大特集を組んで報道すべきではないでしょうか?

中村先生が会社員だった時、彼のあだ名は「スレイブ中村」だったというのをご存じでしょうか?
「スレイブ」とは「奴隷」という意味。
アメリカ人から見れば、青色LEDを実用化した業績に対して2万円しか支払われないのは、異常であり、非常識なんです。
さすがに日本の裁判所も、中村さんの業績の価値を600億円と認定しています。

ですが、どうやら今後法律が変わり、会社員が何かを発明すると特許権は会社に所属するようになるそうです。
もちろん、経団連などがそういった要望を自民党に出しており、そして経団連が自民党に献金を再開しようとしているのは報道の通りです。

その自民党の総裁が、中村先生のノーベル賞を祖国の誇りみたいに言うのは、マンガみたいなものでしょう。