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「障害者と差別表現」生瀬 克己2014年09月07日 21時43分06秒

障害者と差別表現
本の後半は、筒井康隆の「無人警察」の教科書採用に対する日本てんかん教会の抗議の問題です。

「無人警察」のある文章が、てんかんの患者さんに対する差別や偏見を助長することは誰が読んでも明らかです。
協会が抗議をしたのはまったく当たり前のことでしょう。

高校時代、ぼくの同級生にてんかんの友人がいました。
成績は優秀だったのですが、突然、痙攣を起こして失神してしまうんです。
ぼくはまったく偏見を持つことはなく、倒れたら危険だなと思い、何かの時は体を支えてやろうと思っていました。

もし、「無人警察」が高校の国語の教科書に載っていたら?
彼は猛烈に傷付いたと推測します。
筒井さんが表現したいことは別にあって、単にてんかんに対する知識が不足していただけだと思います。
そして、文学として「無人警察」を書いた訳ですから、それ自体は別に責められることではまったくありません。

問題の本質は、こういう文章を教科書に載せる出版社の態度にあります。
てんかん協会と出版社の間では激しい議論の応酬がありましたが、そういう深いレベルの授業が学校現場で果たして可能でしょうか?

しかし筒井さんの発言にも見過ごさせないものがあります。
筒井さんは、この作品は「ブラック・ユーモア」だと言っています(この表現は黒人は不快だと指摘する)。
「てんかん」という社会的弱者、偏見や差別の対象にある者に対して、社会的勝ち組・富豪・名誉も地位もある筒井さんがブラック・ユーモアを投げかけるのはどうなんでしょうか?
若い頃は「SF作家」の社会的地位が低いことを自虐的に表現していましたが、筒井さんほど大成功した作家はそう多くはいないと思います。
弱者の立場に立てないのは当然でしょう。

筒井さんが「断筆宣言」したのは、てんかん協会との関係においてではありませんから、ここでは触れません。

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