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「10ー1=10」の論理2014年07月14日 22時54分17秒

声
障害胎児の人工妊娠中絶がなぜ許されないのか、その最も簡明な理由は優生思想につながるからです。

優生思想の欠点は、ゴールが無いことです。
今ここに10人の集団がいるとしましょう。
優秀な人もいれば、劣った人もいる。劣った人は社会にとって足手まといなので、「間引く」ことにするとします。
そうすると10人の集団は9人になる。と、言いたいところですが、この9人が社会全体を形成する訳ですから、1人間引いてもやはり、最も劣る1人が生まれてしまう。
だから、10ー1=10なんです。

従って、間引いても間引いても必ず劣る人が出てくる。
際限がない。どこかで線を引くことは不可能ですから、最後には人がいなくなって社会が成立しなくなるのです。

「10ー1=10」の論理を講演に使おうと思っていたら、昨日、青い芝の会の横田さんが同じをことを大昔に言っていたことを知りました。
「ころび草」に出てくる「ニワトリの理論」です。
10羽のニワトリを飼っていると、その中の1羽が弱くてみんなから苛められる。卵も産まない。そこで、そのニワトリを潰そうということになる。そうすると、残りの9羽が仲良く暮らすかというとそうではない。9羽の中から弱い1羽がまた弾きだれる。
こういう論理です。
ぼくが思っていた「10ー1=10」の論理とまったく同じです。

私たちの社会は最も弱い一人を守らないと、成り立っていかないのです。

追記1) 写真は先日、朝日新聞に掲載されたぼくの投書です。
追記2) では、優生思想を抱いていない人工妊娠中絶ならば許されるのか? と問うならば、ぼくは倫理的に許されると思っています。しかし、これは一般の人には当てはまることはほとんど無く、このことが分かるのは障害児を産んだ経験のあるカップルだけだと思います。