Fbx15 ノックイン・マウス ― 2014年06月01日 11時06分25秒
さよならCP ― 2014年06月02日 21時15分52秒
You Tube で視聴できると知りました。
人生を深く生きていくためにも、こういう映画は観た方がいいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=qaM_iBvXCgg
歴史的な作品ですね。
人生を深く生きていくためにも、こういう映画は観た方がいいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=qaM_iBvXCgg
歴史的な作品ですね。
神奈川新聞 1970 ― 2014年06月08日 15時55分39秒
先日、神奈川県立図書館へ行ってきた話を書きました。
1970年に起きた事件を報じる記事を手に入れるためです。
3人の子どものうち2人が障害児。そのうちの下の2歳の障害児が泣き止まないために、感情的になった母親は子どもを殺めてしまいました。
余りにも貧困な福祉政策・不足する福祉施設。
悪いのは母親ではなく、福祉政策。
ある意味、母親は犠牲者である。
当時、横浜では母親の減刑嘆願運動が起きたのでした。
これに対して強烈な異議を申し立てた人達がいました。
CP(脳性マヒ)の団体である「青い芝の会」です。
子殺しをした母親が免罪されるのであれば、自分たち脳性マヒ者は「殺されてもしかたがない存在なのか」と抗議の声を上げたのです。
「青い芝の会」はこの事件に異議を唱えることで、団体・運動として大きく発展していったように思えます。
朝日新聞の本多勝一さんは「母親に殺される側の論理」という評論を書きました。
CP者の横塚晃一さんは「母よ! 殺すな」という本を上梓しました。
この本は「生活書院」から現在でも販売されていますから、多くの人にぜひ読んで欲しいと思います。
「青い芝の会」は、「過激である」とか「戦闘的である」とか「怖い」とか、1970年代から1980年代にかけて「健常人」にとっては畏怖の対象だったかもしれません。
しかし、当時、障害胎児の生命倫理に対する議論の中心を担ったことは誰にも否定できないと思います。
我が国では生命倫理に関して、アメリカのように激しい議論がないという意見があります(ぼくもそういう原稿を書いた経験があります)。
だが、歴史によく学んでみればそうではない。
母体保護法の胎児条項に対しては「青い芝の会」が闘った。
クアトロマーカー・テストに対しては日本ダウン症協会が闘った。
新型出生前診断(NIPT)に関しても同じでしょう。
つまり日本では「命を脅かされる側」の患者が常に声をあげてきた歴史があるということです。
この事件から44年が経過し、この母親はいまどうしているのでしょうか?
人生はリセットできませんから、その辛さを思う時にぼくは本当に胸が痛みます。
新聞報道というのは、こうした形で半永久的に残りますから、個人の罪は消えても、歴史的な意味として人々に問いを発し存在が有り続けるのでしょう。
1970年に起きた事件を報じる記事を手に入れるためです。
3人の子どものうち2人が障害児。そのうちの下の2歳の障害児が泣き止まないために、感情的になった母親は子どもを殺めてしまいました。
余りにも貧困な福祉政策・不足する福祉施設。
悪いのは母親ではなく、福祉政策。
ある意味、母親は犠牲者である。
当時、横浜では母親の減刑嘆願運動が起きたのでした。
これに対して強烈な異議を申し立てた人達がいました。
CP(脳性マヒ)の団体である「青い芝の会」です。
子殺しをした母親が免罪されるのであれば、自分たち脳性マヒ者は「殺されてもしかたがない存在なのか」と抗議の声を上げたのです。
「青い芝の会」はこの事件に異議を唱えることで、団体・運動として大きく発展していったように思えます。
朝日新聞の本多勝一さんは「母親に殺される側の論理」という評論を書きました。
CP者の横塚晃一さんは「母よ! 殺すな」という本を上梓しました。
この本は「生活書院」から現在でも販売されていますから、多くの人にぜひ読んで欲しいと思います。
「青い芝の会」は、「過激である」とか「戦闘的である」とか「怖い」とか、1970年代から1980年代にかけて「健常人」にとっては畏怖の対象だったかもしれません。
しかし、当時、障害胎児の生命倫理に対する議論の中心を担ったことは誰にも否定できないと思います。
我が国では生命倫理に関して、アメリカのように激しい議論がないという意見があります(ぼくもそういう原稿を書いた経験があります)。
だが、歴史によく学んでみればそうではない。
母体保護法の胎児条項に対しては「青い芝の会」が闘った。
クアトロマーカー・テストに対しては日本ダウン症協会が闘った。
新型出生前診断(NIPT)に関しても同じでしょう。
つまり日本では「命を脅かされる側」の患者が常に声をあげてきた歴史があるということです。
この事件から44年が経過し、この母親はいまどうしているのでしょうか?
人生はリセットできませんから、その辛さを思う時にぼくは本当に胸が痛みます。
新聞報道というのは、こうした形で半永久的に残りますから、個人の罪は消えても、歴史的な意味として人々に問いを発し存在が有り続けるのでしょう。
「運命の子 トリソミー」を読む会へ行く ― 2014年06月09日 18時23分47秒
昨日書いたように、神奈川まで行って資料を揃え、「本を読む会」に出席しました。
場所は東京の聖路加国際大学。
福祉・介護の研究や出版をおこなっている方、聖路加国際大学や東京医科歯科大学の看護学の先生方が、長年にわたっておこなっている読書会です。
で、ぼくはスピーカーとして招かれ、拙著「運命の子 トリソミー」を紹介させて頂きました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4093965277
ベストセラーではありませんが、地味に少しずつ売れているようです。
未読の方はぜひ読んでくださいね。
ところで、5月にハフィントンポストの取材を受けたことは、以前に書いた通りです。
記事がアップされた直後はそれなりの数のアクセスがあったようです。
今日、記事を久しぶりに見てみると、「いいね」の表示数がけっこう増えていることを知りました。
今でも読んでくれる人がいるんですね。有り難いです。
未読の人はぜひ読んでください。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/02/trisomy_n_5074329.html?utm_hp_ref=japan
さて、「本を読む会」では、障害児をどうやって支えていくのかをみんなで語り合いました。
鍵になるのは、「地域」と「共生」かなとぼくは思ったのが、その日の結論でした。
ですが、最近、この言葉にちょっと問題もあるかなと悩み始めました。
続きはまた明日。
場所は東京の聖路加国際大学。
福祉・介護の研究や出版をおこなっている方、聖路加国際大学や東京医科歯科大学の看護学の先生方が、長年にわたっておこなっている読書会です。
で、ぼくはスピーカーとして招かれ、拙著「運命の子 トリソミー」を紹介させて頂きました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4093965277
ベストセラーではありませんが、地味に少しずつ売れているようです。
未読の方はぜひ読んでくださいね。
ところで、5月にハフィントンポストの取材を受けたことは、以前に書いた通りです。
記事がアップされた直後はそれなりの数のアクセスがあったようです。
今日、記事を久しぶりに見てみると、「いいね」の表示数がけっこう増えていることを知りました。
今でも読んでくれる人がいるんですね。有り難いです。
未読の人はぜひ読んでください。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/02/trisomy_n_5074329.html?utm_hp_ref=japan
さて、「本を読む会」では、障害児をどうやって支えていくのかをみんなで語り合いました。
鍵になるのは、「地域」と「共生」かなとぼくは思ったのが、その日の結論でした。
ですが、最近、この言葉にちょっと問題もあるかなと悩み始めました。
続きはまた明日。
否定されるいのちからの問い―脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集 ― 2014年06月10日 19時43分46秒
昨日の続きです。
「青い芝の会」の横田さんは、ある意味「地域」も「共生」も否定しているんですよね。
これにはショックでした。
しかし横田さんの言うことは、大変よく理解できる。ぼくももうちょっと考えてみます。続きはまた後日。
「青い芝の会」の横田さんは、ある意味「地域」も「共生」も否定しているんですよね。
これにはショックでした。
しかし横田さんの言うことは、大変よく理解できる。ぼくももうちょっと考えてみます。続きはまた後日。
「障害者殺しの思想」横田 弘 ― 2014年06月12日 00時04分20秒
絶版になっている古書で、プレミアが付いてかなりの高額でしたが思い切って購入しました。
読んで本当に良かったと思います。
障害者が「健常者」と共に生活していくには「地域」と「共生」がキーワードになると昨日書きました。
しかし横田さんは「地域」など果たして存在するのかと疑問を投げかけてきます。
いまは「特別支援学級」というものがありますので、昔の「養護学校」よりマシだとは思いますが、交流というのはほぼ無いようにも聞きます。
大規模コロニーは地域のグループホームに移行しつつありますが、グループホームに「隔離」されてしまえば、それは「地域」とは言えません。
「共生」というのはいい言葉なんですが、それを横田さんは、健常者が障害者へ、上から下へ与えるものだと批判します。
難しいですね。
「地域」も「共生」も実現していないかもしれませんが、諦めてしまっては何も実現しません。
「青い芝の会」は、「われらは問題解決の路を選ばない」と言っています。
従って、横田さんの本を読んでも、こうすればいいと簡単に自分を納得させることができない(教えてもらうことができない)んです。
だから自分で考えるしかない。
この3年間ぼくはかなり色々と考えました。
直接、障害児(者)家族にも教えられたし、本もずいぶんと読んだ。
少しずつ自分なりに答えができあがりつつあるように感じます。
読んで本当に良かったと思います。
障害者が「健常者」と共に生活していくには「地域」と「共生」がキーワードになると昨日書きました。
しかし横田さんは「地域」など果たして存在するのかと疑問を投げかけてきます。
いまは「特別支援学級」というものがありますので、昔の「養護学校」よりマシだとは思いますが、交流というのはほぼ無いようにも聞きます。
大規模コロニーは地域のグループホームに移行しつつありますが、グループホームに「隔離」されてしまえば、それは「地域」とは言えません。
「共生」というのはいい言葉なんですが、それを横田さんは、健常者が障害者へ、上から下へ与えるものだと批判します。
難しいですね。
「地域」も「共生」も実現していないかもしれませんが、諦めてしまっては何も実現しません。
「青い芝の会」は、「われらは問題解決の路を選ばない」と言っています。
従って、横田さんの本を読んでも、こうすればいいと簡単に自分を納得させることができない(教えてもらうことができない)んです。
だから自分で考えるしかない。
この3年間ぼくはかなり色々と考えました。
直接、障害児(者)家族にも教えられたし、本もずいぶんと読んだ。
少しずつ自分なりに答えができあがりつつあるように感じます。
五味鳥で飲む ― 2014年06月21日 23時41分29秒
開業医仲間と飲んで、その後に一人で「五味鳥」へ行く。
整形外科の守屋君に遭遇してびっくり。
自宅へ帰ったように寛ぐ。
整形外科の守屋君に遭遇してびっくり。
自宅へ帰ったように寛ぐ。
「ゆきゆきて、神軍」奥崎謙三 (出演), 原一男 (監督) ― 2014年06月22日 23時30分10秒
強烈な作品でした。
さようならCP 原一男監督 ― 2014年06月24日 22時04分07秒
かなり高価なので、購入を迷いましたが手に入れました。
いつの日か、娘たちにこのドキュメントを観て欲しいと願っています。
いつの日か、娘たちにこのドキュメントを観て欲しいと願っています。
「生きることのはじまり」 (ちくまプリマーブックス) 金 満里 ― 2014年06月30日 15時26分45秒
良い本でした。
演劇も観たくなりました。
調べてみると、大阪が拠点なんですね。東京で観るのは難しいかもしれません。
演劇も観たくなりました。
調べてみると、大阪が拠点なんですね。東京で観るのは難しいかもしれません。
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