さようなら Windows XP2013年06月11日 22時13分45秒

XP のサポートが来年の春で終了するようです。
従って、クリニックの電子カルテも総入れ替えです。
8月の最初の日曜日に、すべての作業を行う予定になっています。
そしてもう一つ。
クリニックのホームページ。

これは正確に言うと、「クリニックのもの」ではなくて、「僕の個人のHP」です。
なぜならば、僕のクリニックは医療法人ではなく、僕が個人事業主として運営しているからです。
従ってもっと自分の色を出したHPにしたいのですが、どうもパブリックな雰囲気や構成になってしまいます。
ま、好きなように改変していきましょう。

で、現在使っているPCも買い換える必要があります。
今は Think Pad を使っています。
その堅牢性はなかなかのもので、購入後7年が経ちますが、びくともしません。
ですが、起動の遅さと言ったらもう本当にどうにもなりません。

新しいPCを購入して、院長室ではなく、自宅で作業したいと、何度もここで書いています。
後継機種は何が良いかな?

Mac上でWindowsを動かすことも可能ですが、この場合の最大の不安点は、トラブルの時に誰にも相談できないことです。
従って、Windowsマシンを買わざるを得ないようです。

やはりThink Pad がいいかな?
Vaio Pro なんていうのもなかなかカッコ良い。
え? 仕事はカッコじゃない?
そんなことはありません。不細工な器械に付き合っていたら、働く意欲が削がれますからね。
少し値段が高くても、所有する喜びが得られる機種が欲しいな。
贅沢ですか? ま、残りの人生も長くないし、いいんじゃないでしょうか。

大学病院の患者はモルモットか?2013年06月12日 21時13分46秒

数カ月前、ある患者さんに関して、今は問題ないけど、いずれ問題が出てくる可能性があるので、じっくりと取り組んだ方が良いと考えて大学病院の小児外科に紹介状を書きました。
その後の経過を気にしていましたが、大学から返信は来ず、それは別に珍しいことではないので、ま、そのままにしていました。

先日、その子がうちのクリニックに来院したので、結果はどうでした?と聞いてみたら、何と受診していませんとの返事。
僕なりに時間をかけて根回しして紹介状を書いたので、正直がっかりしました。
で、理由を聞いてみたら、要は大学病院というのは患者を実験材料に扱うからだと言います。
なるほど、そうですか。

開業医をやっていると、数年に1回くらい、そういうことを言われます。
ま、逆に言えば僕も患者からそういう目で見られていたのでしょう。
真夜中に就寝中に電話で呼び出され、無給で緊急手術をした後で、退院の時に「おい、本当に手術は必要だったのかい?」とまるでゴロツキみたいな言いがかりを付けられたこともあります。
僕らの説明も不十分だったのかもしれませんが、こんな真夜中に手術をしてくれる施設など、大学病院以外にどこにも無いのだと、どうして理解してくれないのでしょうか?

それは置いておいて、件の患者さんは、そういう理由で大学に行かなかったと。
「白い巨塔」のようなドラマを見ると、そういう誤解が生まれてしまうのかもしれないですね。
だけど、20年前の話をすれば、医者に「人権感覚」が薄かった事実は否定できないと思います。あくまでも今から20年前です。

僕が研修医だった頃、僕より年齢が10歳以上の世代は、患者に対する「思いやり」とか「優しさ」とか「丁寧さ」が著しく欠けていました。
その世代の人間たちが「教授」をやっていたのですから、そういう「教授」に教わった僕なぞ、出来損ないの医者です。
ですが、そういう上官を反面教師にしながら、自分なりの「思いやり」とか「優しさ」とか「丁寧さ」を憶えていったつもりです。
いや、それは患者さんから教わったことかもしれない。
子どもに教えてもらったということでしょう。

旧い世代の医者に、なぜ、「思いやり」とか「優しさ」とか「丁寧さ」が無いのでしょう?
なぜ、彼らは財前五郎のような医者なんでしょうか?
理由はよく分かりませんが、昔は「末は博士か大臣か」という言葉があったように、医者(博士)というのは不当に社会的地位が高かったのは間違いないでしょう。
それで増長したのかもしれません。

現代の患者家族が未だに大学病院をそういう場所と思い込んでいるならば、本当に彼らの罪は重いと考えます。

くり返しますが、これは昔話です。
現在は、大学病院もこども病院も、「思いやり」とか「優しさ」とか「丁寧さ」に溢れた医者ばかりです。

ももクロ、日産スタジアムに当選しました!2013年06月13日 21時03分19秒

なんと! 当選しました!

これまで以上に、足腰を鍛え、サイリウム筋を強化して応援できるように体を作り上げましょう。

こういう辞典を買った2013年06月14日 21時50分32秒

日本語の正しい表記と用語の辞典
みなさん、辞書を使っていますか?

ぼくが使っている辞書は、
新明解国語辞典(三省堂)
類語国語辞典(角川)
例解慣用句辞典(創拓)
日本語大辞典(講談社)
CASIO電子辞書(明鏡国語辞典・大修館、広辞苑・岩波)
です。
で、最近、講談社の「日本語の正しい表記と用語の辞典」というものを買いました。
校閲部が出しているのですね。

ぱらぱらとめくってみると楽しいのでが、通読は当然かなわず、かといって、字引のように使うには向いておらず、ま、言葉の海で遊んでいるようなものです。

今、ぼくが欲しいと思っているのが、平凡社の百科事典。
実物は保管するスペースがありませんから、電子辞書がいい。
セイコーインスツルから7万円くらいで出ています。
ちょっと高いけど。

言葉の世界は楽しいですよ。
ただね、老眼がきつくて困る。
小さい文字は老眼鏡をかけてもよく読めないんです。
度の強い老眼鏡を使うと、周辺が歪むし。
最近の書籍や新聞は文字が大きくてありがたいのですが、古い岩波新書とかを読むと、本当に難儀するんです。
ロングセラーの昔からある本は、改訂版を出して文字を大きくして欲しいですね。
それから漢字にルビを振って欲しい。
40〜50年前に書かれた本って、読めない漢字がけっこうあるんですよ。

インディアスの破壊についての簡潔な報告2013年06月15日 23時01分15秒

インディアスの破壊についての簡潔な報告
10年以上も前から、いつか読まなければいけないと思ってきました。
で、読みました。
書かれていた内容は、ある意味、すべて知っていたことなので僕にとっては驚くことはありませんでした。
しかしこれは大変貴重なルポですから、日本人でも最低限の教養として知っておくべき歴史的報告です。

僕は歴史を学ぶ時に、人類の祖先とかには、あまり強い興味はありません。
知識としては、ネアンデルタール人と、ホモサピエンスは別種で、同時期に生きていたけど、ネアンデルタール人は絶滅した・・・なんてことは知っています。
だけどそれはまあ、言ってみれば現在の歴史につながっていないので、どうでもいい感じがします。

今の我々の暮らしに関係する歴史上の最大の出来事は、やはり1492年にあると思います。

スペイン人は中南米の先住民をほぼすべて皆殺しにしました。
その数は数千万人とも言われています。
直接殺したり、奴隷にして絶命させたり、天然痘ウイルスで殺したり、その残虐非道ぶりは人類史上最大の殺戮かもしれません。

この死の征服(コンキスタ)をある人は、ヒトラー以上の犯罪と言います。そしてヒトラーのように非難されない理由として、白人が非白人を殺したからだという指摘があります。
(ヒトラーは白人でありながら、隣人の白人を殺したため非難されている)

中南米の大量殺戮は金銀財宝の強奪を目的としてなされましたが、それが宗教の名のもとに行われたのですから、悲しいとしか言いようがありません。
なんだか今の世の中は、イスラム教=怖い、みたいなイメージがあり、キリスト教=博愛みたいに思われがちですが、教会があって神父がいて、世界のすみずみまで改宗を迫りに宣教師が進出しているのは、キリスト教です。
隣人を愛せよという言葉は、殺された数千万の人たちにどういう意味をもつのでしょうか?

1542年にこういう記録を残したラス・カサスを立派だと讃える意見もありますが、普通の道徳観があれば誰でもこういう報告書は書くんじゃないでしょうか?
いや、でもやはり難しいかな。
彼はきっと孤独を恐れなかったのでしょう。

皆さんも、なぜ中南米では、スペイン語とポルトガル語しか使われていないか、ちょっと考えてみるといいと思います。

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」2013年06月16日 20時08分19秒

細かい事情は書きませんが、「エンド・オブ・ホワイトハウス」という映画を観ました。

http://end-of-whitehouse.com

「エアフォース・ワン」と「ダイ・ハード」を合わせたような映画でした。
CGと分かっていても画像の表現力は迫力十分。
120分をあっと言う間に観てしまいました。

だけど後から考えてみると、ちょっと納得できない点がいくつかあり、面白いことは面白かったのですが、面白いだけで終わった映画という感じでした。

ちなみにこの映画の上映前の予告編で「ホワイトハウス・ダウン」という作品が流れていました。

http://www.whitehousedown.jp

同じモチーフですね。
これらの作品を含めて、世界規模のパニックとか人類滅亡とか、そんな感じの映画がやたら多い。
これはもしかして、CG先にありき・・・・なのでは?

ちなみに映画料金は1800円なんですが、僕が50歳を越えているために、夫婦で合わせて2000円でいいんだそうです。
座席も立派なシートで、腰もお尻も痛くならず、大変快適でした。
映画館もずいぶん変わりましたね。

泣くな、我が子よ2013年06月17日 21時57分27秒

第二子が生まれた時、ぼくは解離性脳動脈瘤でひっくり返っていた。
だから出産には立ち会えず、産院から退院してきた我が子とようやく対面したという感じだった。

長女が生まれた時はぼくも若かった。だけど、お前が生まれた時、ぼくは40歳だった。
最初に考えたことは「お前が二十歳になる時、オレは還暦か」ということだった。

ぼくは50歳を越え、我が子は10歳を越えた。
小学校の低学年まではよく一緒に遊んだものだが、ある日を境に急に遊ばなくなった。
母親には今でもべったりだけど、基本的には一人で本を読んでいるのが好きな子。
それも個室にこもって、部屋を暗くして、毛布にくるまって。
身長も体重もクラスで一番大きい。
そんな個性的な子。

ぼくはうまく説明できないのだけれど、この子には不思議な人間的な魅力を感じる。
可能性と言ってもいいかもしれない。
ぼくがこれまでの人生で思いもつかなかったこと、まったくやろうともしなかったこと。
そういうことをやってしまうような力が潜んでいるような気がする。
人として可愛い。こんな魅力的な子どもがよくぞ、ぼくたち夫婦から生まれてくれたものだと嬉しくなってしまう。

そんな子が昨日泣いた。
塾のテストで、思うような点数を出せなかったからだ。
悔しくて泣いたのだろう。
中学受験まで、まだまだ時間はあるよ。
いや、中学受験をしなくたっていい。
ぼくのように地元の中学・高校に進む道だってある。
学問は一生続くから、ある意味、大学だってどこでもいいのだよ。

我が子に泣かれると親は辛い。
どうもこの心理は、祖父と孫の関係に近いのかも知れないな。
ま、歳が離れているのだから仕方ないじゃないか。
悲しい時は母親に甘えてくれ。
ぼくは遠くから見ているよ。
泣くな、我が子よ。ぼくまで泣けてくる。
親子で泣いていたら、ちと、かっこわるい。

仕事が終わって東京へ2013年06月18日 23時38分04秒

丸ビル35階の天麩羅屋さん
今日は何を書くかかなり迷いましたが、ブログとは「日記」ですから、今日あったことを素直に書きます。

夕方に診療を終えて、JR東京駅を目指しました。
東京駅から歩いて数分。
丸ビルの35階です。

お招き頂いたのは、週刊現代の編集長F氏。
もともとweb 「g2」のインタビューは、当時「g2」編集長だったFさんの企画でした。

お陰様で本当に貴重な経験ができました。
一流の作家さんはどの方も(当たり前の話ですが)、一流のセンスを持っていて、言葉に力がある人ばかりでした。
そういった作家さんたちに会うことで、刺激を受け、精神を磨くことができました。

またインタビューにあたっては、自分なりに勉強をしました。
その作家さんの書物を深く読んだり、広く読んだり。
先日、後輩のドクターと話をしていたら、「ものすごい準備ですよね?」と誉められてしまい嬉しくなりました。

またインタビューと言っても、その発言をテープ起こししておしまいということではまったくありません。
インタビューにもストーリーがありますから、不要な部分は割愛させて頂きます。
そして作家さんの言葉を「 」内にくくって表現するか、地の文で表現するかの判断も難しい。
さらに「取材」と「インタビュー」は別ですから、「分からないから聞く」部分と、分かっているけど「作家の口から言葉が欲しい」ので敢えて聞くこともあります。

いずれにしてもこういった経験は、医者だけをやっている限り絶対にありえませんから、お金を出しても得られない貴重な財産となりました。

「g2」インタビューはペースを落として今後も続くかとは思いますが、1年を経過して区切りが付いたとのことで、今日はビールを飲みながらの会食となった次第です。

人は宝、人脈は人生の財産ですね。

二重らせん (講談社文庫)2013年06月19日 21時03分21秒

二重らせん (講談社文庫)
休診日の今日は、一日、書斎のソファーに寝っ転がって読書をしていました。
水曜日に休めるというのは実に気持ちがいいもので、ちょっとした罪悪感みたいなものが無い訳ではありませんが、ま、ぼくも長く生きてきたのだから、こういうご褒美もあっていいのかなと思います。

で、2冊本を読んだのですが、そのうちの1冊の話を書きましょう。

「二重らせん」と言えば、もちろんこれはワトソンの自伝です。
20数年ぶりに再読しました(買い直した)。

DNAの構造を解き明かしたことは、20世紀のライフサイエンスにおいて、最大の発見であったことは誰にも異存はないでしょう。
なぜかと言えば、あとから続いてきた科学者たちは、全員が二重らせんという扉をくぐっているからです。

ワトソンが偉大だったところは、DNAこそが生命の本質=遺伝子と考えて、その構造を明らかにすることに執念を燃やした点です。
ある意味、DNAという分子の重要性に気付いていた人が、その時代にはあまりいなかった。

そしてDNAの形を決めてみると、同時に自己複製の形式までわかってしまったんですね。
自己複製できるということは遺伝子の要件ですから、結果、予期せずにさらなる大発見を含んでいたのです。

で、面白いのは、ワトソン自身は何の実験もやっていないこと。
ウイルキンスらがひたすらX線解析をしていて、ワトソンはデータだけをもらって、ただただ考える訳です。
考えて考え抜いて、二重らせんのモデルに到達するんですね。
だから言ってみれば、暗号を解読したようなものです。

ワトソンが思考を積み重ねる中で、ハーシー&チェイスの実験が出てきます。シャルガフの法則も見付かります。
こういうことの方が、実は重要なんですね。
実験に基づくデータですから。
ワトソンはそういうものを、特にシャルガフの法則に助けられて二重らせんのモデルに到達します。

利根川先生は、自分の全生活をすべてサイエンスの実験に注ぎ込んで免疫の多様性に答えを出しました。
眠る時間と食う時間以外は、ひたすら実験をやっていた。
それと比べて、なんとまあ、ワトソンの発見は質が違うのでしょうか?
ワトソンは結局、サイエンスの世界で教育者となり政治家となりました。
利根川先生のような真のサイエンティストではなかったのだと思います。悪い意味じゃありませんよ。

ぼくの持っている本書は25刷ですが、169ページに誤植がありました。
「私はコーヒーかすんだら」は、「私はコーヒーがすんだら」の間違いでしょう。

サッカー・コンフェデ杯と大航海時代2013年06月20日 22時44分42秒

サッカーW杯が開催されるブラジルで、現在、コンフェデ杯がおこなわれています。
日本代表は、期待を盛り上げるだけ盛り上げておきながら、あっと言う間に2連敗で予選敗退が決まりました。
たしかに昔に比べれば強くなったと思いますが、世界の強豪と伍して勝負できるレベルではないようです。

しかしながら、サッカーの試合を観ていると、日本チームが極端に体格で負けているということはありません。
これがラグビーとかK1のような格闘技ならば、闘う前から体格負けと分かってしまいます。
つまりサッカーというスポーツは、フィジカルですべてが決するということでは全く無いなという印象を受けます。
では何が強さの鍵でしょうか? 精神力か?

ぼくはサッカーに関してはまったくの素人なので、とんちんかんなことを書いていたら許してください。

近代サッカーで最も強い国はどこでしょうか?
ブラジル? イタリア? イングランド?
強い国がたくさんあります。そこでFIFAの世界ランキングを見ると、スペインがナンバーワンとわかります。
そう確かに「無敵艦隊」というニックネームがあり、W杯で優勝候補に挙げられない大会は存在しませんよね。

スペインの歴史とは闘いの歴史ではないでしょうか?
レコンキスタによって、キリスト教・スペインがイスラム勢力をイベリア半島から追い落とします。
しかしペストの大流行でスペインは瀕死の国になる。
経済は行き詰まり、イスラムの圧力を受け続け、彼らは大西洋を渡ります。
不屈の精神力ではないですか。

結果、中南米の先住民は皆殺しにされて、あとには(ブラジルを除き)スペイン語を話す人々の国が誕生します。
そしてこういう国々もサッカーが強い。
もちろん、ポルトガルもブラジルもサッカーが強い。

ロシアやアジアやアフリカやオセアニアは、サッカーの強さは今ひとつです。
つまり屈強な精神力で海を渡った西ヨーロッパ人とその末裔が、世界のサッカーの強豪国なのではないでしょうか?

FIFAの世界ランキングを眺めると、西欧州・キリスト教がなぜ世界制覇できたのかがわかるような気がします。
ま、ちょっと「こじつけ」かな。