いのちと性の物語: 人格的存在としての人間の倫理(竹内 修一) ― 2023年10月09日 11時24分56秒

上智大学神学部の竹内教授の著作です。
いのちと性をめぐる倫理的基盤について、基礎を押さえながら、先生のお考えまでを広く述べていきます。
先生はキリスト者なので、考えのベースにあるのは「プロライフ」でしょう。
ぼくも小児外科医なので、考え方としては非常に似たものがあります。
印象に強く残ったところをいくつか書き出したいと思います。
「望まない妊娠」という言葉があります。いったい誰が望まないのでしょうか? それは当事者の二人、あるいはそのうちの一人でしょう。だけど、この新しい命の誕生に際して、真の意味での当事者とは誰でしょう。
それは胎児です。
そのことをもっと深く考えるべきだと先生は言います。
「産む、産まないは女性の権利」という言葉があります。胎児は親の所有物でしょうか?
胎児には人格がないから、自由にしていい?
それが成り立つならば、生後1か月くらいの新生児にも人格はないという理屈になります。
いのちは「恵み」であって、「生産物」ではないという先生の言葉は重いと感じました。
性の考察にあたって、先生は結婚という制度を論じています。
結婚とはなんでしょうか? いろいろな考え方ができるでしょう。
先生は、「自分は相手に何を与えることができるだろうか」といった誠実な心が大事であると説きます。
「誠実」という言葉は先生にとって大切なキーワードで、ぼくはこの言葉を大事に日々の診療を行なっています。
また「裁き」と「神の赦し」についても考えさせられました。「罪なきものがまず石を投げよ」という言葉は有名ですが、「人を裁くな」というイエスの言葉は今の時代にとても大切ではないでしょうか。
ツイッター(X)を見ていると、つくづくそう感じます。
先生の考え方が伝わってくる、それでいて押し付けがましくない、穏やかな作品でした。
みなさんも読んでみてください。おススメします。
いのちと性をめぐる倫理的基盤について、基礎を押さえながら、先生のお考えまでを広く述べていきます。
先生はキリスト者なので、考えのベースにあるのは「プロライフ」でしょう。
ぼくも小児外科医なので、考え方としては非常に似たものがあります。
印象に強く残ったところをいくつか書き出したいと思います。
「望まない妊娠」という言葉があります。いったい誰が望まないのでしょうか? それは当事者の二人、あるいはそのうちの一人でしょう。だけど、この新しい命の誕生に際して、真の意味での当事者とは誰でしょう。
それは胎児です。
そのことをもっと深く考えるべきだと先生は言います。
「産む、産まないは女性の権利」という言葉があります。胎児は親の所有物でしょうか?
胎児には人格がないから、自由にしていい?
それが成り立つならば、生後1か月くらいの新生児にも人格はないという理屈になります。
いのちは「恵み」であって、「生産物」ではないという先生の言葉は重いと感じました。
性の考察にあたって、先生は結婚という制度を論じています。
結婚とはなんでしょうか? いろいろな考え方ができるでしょう。
先生は、「自分は相手に何を与えることができるだろうか」といった誠実な心が大事であると説きます。
「誠実」という言葉は先生にとって大切なキーワードで、ぼくはこの言葉を大事に日々の診療を行なっています。
また「裁き」と「神の赦し」についても考えさせられました。「罪なきものがまず石を投げよ」という言葉は有名ですが、「人を裁くな」というイエスの言葉は今の時代にとても大切ではないでしょうか。
ツイッター(X)を見ていると、つくづくそう感じます。
先生の考え方が伝わってくる、それでいて押し付けがましくない、穏やかな作品でした。
みなさんも読んでみてください。おススメします。
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