幡野広志さんの安楽死論に反応する ― 2023年07月05日 20時26分56秒
岩永直子さんの『言葉はいのちを救えるか?』を読んでいろいろと考えました。
その中の一つが、幡野さんの安楽死論です。
幡野さんが写真家であること、血液のがんで闘病していることは知っていましたが、安楽死論を広く展開していることは、この本を読むまで知りませんでした。
ぼくは医師として幡野さんの言いたいことは大変よく分かります。
だからこれは「反論」ではなく、「反応」したに過ぎません。
安楽死とはなんでしょうか?
それは死を直前にした病人に対して致死量の薬物を投与して患者を死なせることです。
苦しむ前に死ですべてを終わりにするのです。
もう一つは患者が自殺するのを医師が幇助することです。
ぼくは、安楽死というシステムが日本で合法になることに賛成していません。
1番の理由は、誰が「それ」をやるのか?という疑問があるからです。
漫画のドクターキリコのように、死を請け負う医者がいて、殺し屋のように患者のもとに現れるのでしょうか?
そんなことは日本ではありえないと思いますよ。
安楽死をやりたいなんて考えている医師なんて日本には全然いないと思います。
いたら、そいつはトンデモ医のような倫理観が麻痺した人間でしょう。
大学の医学教育で安楽死の方法を授業でやり、それを試験で点数化するなんてあり得ないです。
だからあと30年経っても日本では安楽死は合法化されないと思います。
ですが・・・日本の臨床の現場では事実上の安楽死はどこでも行われていると思います。
調査をしたわけではないので、正確な統計はありませんが、今の日本で無意味な延命なんてまったく行われていないと思います。
ぼくは医師として子どもの死に100回以上立ち会ってきました。蘇生をしたのは、2回くらいです。いずれも外傷ですね。
それ以外はがんの末期などですから、そこから回復することは100%あり得ません。
いかに子どもに苦痛を与えず、家族の心に傷を残さず、そればかりを真剣に考えていました。
だから、最期はとにかく苦痛の除去です。麻酔科の医師にも手伝ってもらいましたが、ほぼすべて自分たちで徐痛をしていました。
具体的にどういうことをしたか、それはちょっと公の場では言えません。
でも、ぼくが行った終末期医療に不満を持った家族はいないと思います。
子どもたちも苦しまなかったと思います。
そういう意味では幡野さんは、ちょっと心配しすぎなような気がします。
主治医とよくコミュニケーションをとれば、疑問は消えるでしょう。
終末期に殺人医が登場する安楽死よりも、主治医が一生懸命に患者の痛みのことを考える医療の方が現実的だと思います。
ただ成人医療では課題が一つあって、それはスピリチュアルな痛みです。
がんの末期で全身が痛い・・・というもっと前の段階で、寝たきりになるとか、排尿排便の世話を他人に委ねる、こういうときに自分は一体何のために生まれ、生きてきたのかと魂が痛くなることがあります。
ここは小児医療と違っています。
だから、幡野さんの安楽死論もこの段階での「痛み」を最も問題にしているんだろうと思います。
これに対しても医師の中では、スピリチュアルケアが進んでいます。
そういうことに期待してもいいのではないでしょうか。
ぼくは死ぬときは病院で。鎮痛と鎮静をたっぷり使って。
苦しんでいるところを、子どもに見られたくありません。
その中の一つが、幡野さんの安楽死論です。
幡野さんが写真家であること、血液のがんで闘病していることは知っていましたが、安楽死論を広く展開していることは、この本を読むまで知りませんでした。
ぼくは医師として幡野さんの言いたいことは大変よく分かります。
だからこれは「反論」ではなく、「反応」したに過ぎません。
安楽死とはなんでしょうか?
それは死を直前にした病人に対して致死量の薬物を投与して患者を死なせることです。
苦しむ前に死ですべてを終わりにするのです。
もう一つは患者が自殺するのを医師が幇助することです。
ぼくは、安楽死というシステムが日本で合法になることに賛成していません。
1番の理由は、誰が「それ」をやるのか?という疑問があるからです。
漫画のドクターキリコのように、死を請け負う医者がいて、殺し屋のように患者のもとに現れるのでしょうか?
そんなことは日本ではありえないと思いますよ。
安楽死をやりたいなんて考えている医師なんて日本には全然いないと思います。
いたら、そいつはトンデモ医のような倫理観が麻痺した人間でしょう。
大学の医学教育で安楽死の方法を授業でやり、それを試験で点数化するなんてあり得ないです。
だからあと30年経っても日本では安楽死は合法化されないと思います。
ですが・・・日本の臨床の現場では事実上の安楽死はどこでも行われていると思います。
調査をしたわけではないので、正確な統計はありませんが、今の日本で無意味な延命なんてまったく行われていないと思います。
ぼくは医師として子どもの死に100回以上立ち会ってきました。蘇生をしたのは、2回くらいです。いずれも外傷ですね。
それ以外はがんの末期などですから、そこから回復することは100%あり得ません。
いかに子どもに苦痛を与えず、家族の心に傷を残さず、そればかりを真剣に考えていました。
だから、最期はとにかく苦痛の除去です。麻酔科の医師にも手伝ってもらいましたが、ほぼすべて自分たちで徐痛をしていました。
具体的にどういうことをしたか、それはちょっと公の場では言えません。
でも、ぼくが行った終末期医療に不満を持った家族はいないと思います。
子どもたちも苦しまなかったと思います。
そういう意味では幡野さんは、ちょっと心配しすぎなような気がします。
主治医とよくコミュニケーションをとれば、疑問は消えるでしょう。
終末期に殺人医が登場する安楽死よりも、主治医が一生懸命に患者の痛みのことを考える医療の方が現実的だと思います。
ただ成人医療では課題が一つあって、それはスピリチュアルな痛みです。
がんの末期で全身が痛い・・・というもっと前の段階で、寝たきりになるとか、排尿排便の世話を他人に委ねる、こういうときに自分は一体何のために生まれ、生きてきたのかと魂が痛くなることがあります。
ここは小児医療と違っています。
だから、幡野さんの安楽死論もこの段階での「痛み」を最も問題にしているんだろうと思います。
これに対しても医師の中では、スピリチュアルケアが進んでいます。
そういうことに期待してもいいのではないでしょうか。
ぼくは死ぬときは病院で。鎮痛と鎮静をたっぷり使って。
苦しんでいるところを、子どもに見られたくありません。
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