Amazonに登場! 書評も登場! ― 2021年12月24日 08時56分13秒
新著『ぼくとがんの7年』。
ようやくAmazonで「在庫あり」になりました。
「深刻で、たまに前向きで、ちょっと感傷的で、でもおもしろい」本です。
よかったら読んでみてください。お友達にも紹介してくださいね。
https://amzn.to/3Ha2bu0
それから、読売新聞ヨミドクターに書評が掲載されました。こちらもぜひご覧になってください。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20211222-OYTET50026/
どうぞよろしくお願いします!!
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「深刻で、たまに前向きで、ちょっと感傷的で、でもおもしろい」本です。
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それから、読売新聞ヨミドクターに書評が掲載されました。こちらもぜひご覧になってください。
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どうぞよろしくお願いします!!
開業医をやりながら作家もやってみた18 ― 2021年12月26日 09時38分41秒
m3.com 「開業医をやりながら作家もやってみた」連載第18回目が掲載されました。
https://www.m3.com/news/iryoishin/994857
今回は、『運命の子 トリソミー』で小学館ノンフィクション大賞を受賞し、大喜びした顛末記です。
よかったら読んでみてください。
https://www.m3.com/news/iryoishin/994857
今回は、『運命の子 トリソミー』で小学館ノンフィクション大賞を受賞し、大喜びした顛末記です。
よかったら読んでみてください。
誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論(松本 俊彦) ― 2021年12月27日 23時09分22秒

アマゾンで非常に高評価なので、読んでみました。
大変文章がうまく、豊穣に語っていますが、同時に冗長とも言えます。
比喩や例え話が多く、こういう文章はぼくには書けないなと思いました。
ぼくは外科医だし、著者は精神科医ですからね。そういう違いが文章に出ていました。
この本は雑誌に連載された文章を1冊の本として編んだ作品です。
サブタイトルに「クスリとヒトの現代論」とありますが、そういう評論の部分は確かにありますが、学生時代の思い出とか研修医のころの逸話とかもあり、半生記の部分もあります。
全体として見た場合、それぞれの章の据わりがいいとは言いにくく、本の完成度はどうなのかなと正直思いました。
薬物依存症の患者は病気なので、懲罰よりも治療が必要であるという論と、学生時代の解剖実習の話や研修医時代に脳炎の診断をつけた見事な体験談とでは、ちょっと表現の目指す先が違い過ぎている印象があります。
論を立てるのか、青春記を描くのか、きちんと全体の骨格を決めて書き直していれば、もっといい本になったと思います。
ちょっと蛇足。
雑誌に連載した文章を1つの本にまとめることを必ずしも悪いと言っているわけではありません。ぼくもそういう本を何冊か出しています。
ただ、ぼくは連載をするときに、初回から最終回まで目次を作ってから書きます。つまり長編のエッセイを分割して書いているのです。
そうでない文章・・・つまり1回1回考えて書いた文章をエッセイ集として編むとなかなか良い本は生まれないと思いますよ。
違う意見もあるかもしれませんが。ただ、それでも全体を貫くテーマは必要だと思います。
著者のファンにはとても満足の1冊でしょう。そういった方にオススメします。
大変文章がうまく、豊穣に語っていますが、同時に冗長とも言えます。
比喩や例え話が多く、こういう文章はぼくには書けないなと思いました。
ぼくは外科医だし、著者は精神科医ですからね。そういう違いが文章に出ていました。
この本は雑誌に連載された文章を1冊の本として編んだ作品です。
サブタイトルに「クスリとヒトの現代論」とありますが、そういう評論の部分は確かにありますが、学生時代の思い出とか研修医のころの逸話とかもあり、半生記の部分もあります。
全体として見た場合、それぞれの章の据わりがいいとは言いにくく、本の完成度はどうなのかなと正直思いました。
薬物依存症の患者は病気なので、懲罰よりも治療が必要であるという論と、学生時代の解剖実習の話や研修医時代に脳炎の診断をつけた見事な体験談とでは、ちょっと表現の目指す先が違い過ぎている印象があります。
論を立てるのか、青春記を描くのか、きちんと全体の骨格を決めて書き直していれば、もっといい本になったと思います。
ちょっと蛇足。
雑誌に連載した文章を1つの本にまとめることを必ずしも悪いと言っているわけではありません。ぼくもそういう本を何冊か出しています。
ただ、ぼくは連載をするときに、初回から最終回まで目次を作ってから書きます。つまり長編のエッセイを分割して書いているのです。
そうでない文章・・・つまり1回1回考えて書いた文章をエッセイ集として編むとなかなか良い本は生まれないと思いますよ。
違う意見もあるかもしれませんが。ただ、それでも全体を貫くテーマは必要だと思います。
著者のファンにはとても満足の1冊でしょう。そういった方にオススメします。
選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記(和田靜香, 小川淳也) ― 2021年12月30日 16時12分19秒

話題の人、小川淳也さんの香川一区の密着ルポです。
密着と言っても、筆者は相撲ライターの和田さん。そこは彼女らしく、緩やかに「密着」している感じがなんともいいです。
選挙を手伝ったり、疑問を持ったり、それでも小川さんが目指す「対話による民主主義」に共感したり。
楽しく読ませて頂きました。
個人的に一番の読ませどころだと思ったのは・・・本筋とは無関係かもしれませんが・・・小川さんの奥さんと娘さんが「妻です」「娘です」というタスキをかけて選挙運動することに、フェミニストから批判の声が選挙中盤で上がる場面です。
確かにこれにはぼくも違和感を持っていました。
「妻」とか「娘」が匿名の記号になって、ある意味で「道具」になってしまっているからです。
しかし香川のような地方では、こういう形の選挙をやらないと、「家族は何をしているんだ!」との反発が上がり、当選は難しいのでしょうね。
和田さんから指摘を受けた小川さんたちは、タスキを外すことにします。
そのとき、妻の明子さんは泣いたそうです。「妻」というタスキをかけるのは、彼女にとって決意の表明みたいなものの訳で、それを否定された気持ちになったのでしょう。
読んでいる方も、グッときてしまいました。
和田さんに同意できなかった部分はひとつだけ。それは選挙とはお祭りで、楽しくなければ投票率は上がらないという後書きです。
そうなのかな?
僕の住む千葉市の選挙区では、先の総選挙で候補者の街宣車など一度も通りかかりませんでした。まったくの無風・無音。お祭りとは程遠いものでした。
では、19歳の次女がどうやって投票したか?
それは朝日新聞comの、どの政党に意見が近いかというマッチングツールを使って自分で調べて候補を決めました。
そして、そもそもなぜ選挙に行ったのかと言えば、親が(ぼくのことですね)、次女が幼い時から民主主義とは投票であり、投票は権利であり、国民の務めと教育してきたからです。
日本の投票率の低さは、背景に政治不信があるとぼくは見ています。国民が政治に参加するということを公教育の中で、しっかり教えていく必要があるのではないでしょうか。
お祭りをやって投票率を上げようという発想では解決しないと思います。
あ、それから小川淳也事務所の「小川淳也」という文字が平野甲賀さんの書体で書かれていることにはウケました。
密着と言っても、筆者は相撲ライターの和田さん。そこは彼女らしく、緩やかに「密着」している感じがなんともいいです。
選挙を手伝ったり、疑問を持ったり、それでも小川さんが目指す「対話による民主主義」に共感したり。
楽しく読ませて頂きました。
個人的に一番の読ませどころだと思ったのは・・・本筋とは無関係かもしれませんが・・・小川さんの奥さんと娘さんが「妻です」「娘です」というタスキをかけて選挙運動することに、フェミニストから批判の声が選挙中盤で上がる場面です。
確かにこれにはぼくも違和感を持っていました。
「妻」とか「娘」が匿名の記号になって、ある意味で「道具」になってしまっているからです。
しかし香川のような地方では、こういう形の選挙をやらないと、「家族は何をしているんだ!」との反発が上がり、当選は難しいのでしょうね。
和田さんから指摘を受けた小川さんたちは、タスキを外すことにします。
そのとき、妻の明子さんは泣いたそうです。「妻」というタスキをかけるのは、彼女にとって決意の表明みたいなものの訳で、それを否定された気持ちになったのでしょう。
読んでいる方も、グッときてしまいました。
和田さんに同意できなかった部分はひとつだけ。それは選挙とはお祭りで、楽しくなければ投票率は上がらないという後書きです。
そうなのかな?
僕の住む千葉市の選挙区では、先の総選挙で候補者の街宣車など一度も通りかかりませんでした。まったくの無風・無音。お祭りとは程遠いものでした。
では、19歳の次女がどうやって投票したか?
それは朝日新聞comの、どの政党に意見が近いかというマッチングツールを使って自分で調べて候補を決めました。
そして、そもそもなぜ選挙に行ったのかと言えば、親が(ぼくのことですね)、次女が幼い時から民主主義とは投票であり、投票は権利であり、国民の務めと教育してきたからです。
日本の投票率の低さは、背景に政治不信があるとぼくは見ています。国民が政治に参加するということを公教育の中で、しっかり教えていく必要があるのではないでしょうか。
お祭りをやって投票率を上げようという発想では解決しないと思います。
あ、それから小川淳也事務所の「小川淳也」という文字が平野甲賀さんの書体で書かれていることにはウケました。
生きる意味について考える ― 2021年12月31日 08時46分59秒
生きることの意味
人はなんのために生きるのか? それは、より善く生きるために生きるのではないか。
ぼくは人として欠点の多い人間で、他人を赦す能力に乏しかったり、最も親しい人に愛情をうまく伝えられなかったり、(大学時代だが)後輩に対して思いやりのある言葉を発せられなかったりした。
しかしどこか善の部分もある。
患者に対してひたすら真面目に精一杯治療を行ってきた34年間に偽りはなく、責任感とか使命感は揺るがずに持っていた。
つまり自分の心の中には、善の部分と、そうでない部分が混ざっている。
より善く生きるとは、善の部分を膨らませ、育て上げて、自己実現をはかっていくことだろう。
開業医という仕事は、なかなか自分を成長させられない。
大学時代の貯金を切り崩して診療を行っているようなものだ。
ぼくが開業医になって本当に勉強した分野は「喘息」と「発達障害」だけだと思う。
ただ、たとえ風邪を診るだけでも、家族からすればありがたいことであろうと思われるので、医療という労働によって、ぼくはわずかでも日々自己実現しているとも言える。
本を書くことになったのは、今から13年前で、これまでに14冊の本を作った。
それぞれの本に思い入れがあり、書くたびに学びがあった。
特に障害児医療をめぐる医師の使命と倫理については、本を書くことで初めて目が開かれるような思いをした。
執筆を通じて、自分がより善く生きることができるようになったのは間違いなく、この活動はこれからも続けていきたい。
「売れる本」を書くつもりはない。「善き本」を書きたい。
そうして自分の中の善の部分を拡大し、生きる意味を再確認したいと思う。
若い頃のエネルギーはもうないけれど、残りの人生の中で今日が一番若い日である。挑戦をやめることはしない。
人はなんのために生きるのか? それは、より善く生きるために生きるのではないか。
ぼくは人として欠点の多い人間で、他人を赦す能力に乏しかったり、最も親しい人に愛情をうまく伝えられなかったり、(大学時代だが)後輩に対して思いやりのある言葉を発せられなかったりした。
しかしどこか善の部分もある。
患者に対してひたすら真面目に精一杯治療を行ってきた34年間に偽りはなく、責任感とか使命感は揺るがずに持っていた。
つまり自分の心の中には、善の部分と、そうでない部分が混ざっている。
より善く生きるとは、善の部分を膨らませ、育て上げて、自己実現をはかっていくことだろう。
開業医という仕事は、なかなか自分を成長させられない。
大学時代の貯金を切り崩して診療を行っているようなものだ。
ぼくが開業医になって本当に勉強した分野は「喘息」と「発達障害」だけだと思う。
ただ、たとえ風邪を診るだけでも、家族からすればありがたいことであろうと思われるので、医療という労働によって、ぼくはわずかでも日々自己実現しているとも言える。
本を書くことになったのは、今から13年前で、これまでに14冊の本を作った。
それぞれの本に思い入れがあり、書くたびに学びがあった。
特に障害児医療をめぐる医師の使命と倫理については、本を書くことで初めて目が開かれるような思いをした。
執筆を通じて、自分がより善く生きることができるようになったのは間違いなく、この活動はこれからも続けていきたい。
「売れる本」を書くつもりはない。「善き本」を書きたい。
そうして自分の中の善の部分を拡大し、生きる意味を再確認したいと思う。
若い頃のエネルギーはもうないけれど、残りの人生の中で今日が一番若い日である。挑戦をやめることはしない。
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