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川崎病は、いま―聞き書き川崎富作(細川 静雄, 原信田 実)2021年06月27日 22時01分45秒

川崎病は、いま―聞き書き川崎富作
川崎病の川崎富作先生の自伝です。
先生は千葉大が生んだスーパースターの一人ですが、千葉大の小児科に在籍した期間はわずかで、医者人生のほとんどすべては日赤にありました。
ですので、千葉大の・・・と言うより日赤のと言った方がいいでしょう。
しかしながら川崎病の伝統は現在の千葉大小児科に受け継がれています。
教授の浜田先生は循環器が専門で、川崎病に対すシクロスポリンの有用性を多施設共同研究の成果としてランセットに発表しています。
原因不明の病気でありながら、治療法が進歩していくというのはなんとも不思議な感じがします。

さて、川崎先生が川崎病を見つける前は、川崎病はどのように扱われていたのでしょうか?
猩紅熱とかSJ(スティーブンス・ジョンソン)症候群と見做されていたのでしょう。
川崎先生も当初はこの病気を自然治癒する病気と考えていましたから、特定の病気として認識されなかったとしても不思議ではありません。

この疾患は6症状すべてそろえば診断に迷うことはありませんが、開業医はその前の段階で患者を大学病院に送ります。
つまり3つとか4つ症状があれば、クリニックで経過を見るということはしません。
その結果、誤診もあります。オーバーダイアグノーシスですね。これは仕方ないと思います。

カルテを過去にどんどん遡っていくと、今の基準ではその病気だったということは十分あることです。
医師としてぼくの最初の症例報告は膵芽腫でした。
医学中央雑誌を第1巻(1899年)からすべて見ていったとき、1964年の症例報告に小児の膵臓腫瘍というのがありました。
添付されていた病理の写真を見ると、どう考えても膵芽腫の特徴そのものでした。
で、ぼくはこの1964年の症例を日本の第一例として報告しました。

川崎先生は晩年になっても自分の研究室に膨大な患者のデータを記録・保存していたそうです。
臨床の中に真実があると考えた先生が、第2の川崎病を探していたのかもしれません。
先生の座右の銘は「運・鈍・根・勘・厳」だそうです。
ぼくには「勘」がありません。頭がよくないので「閃かない」のです。
あとの4つはあるような気がします。すべての診断基準は満たしていません(笑)。

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