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生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ!(森岡 正博)2021年01月28日 22時29分33秒

生まれてこないほうが良かったのか?
これは強烈に面白い本でした。
この世の中には苦しみがある。そんな苦しみを味わうのであれば、
「私は生まれてこないほうが良かったのではないか?」
これが古代ギリシャから現在至るまで、脈々と続く「反出生主義」であり、「誕生否定」です。
この考え方が正しいとすると、生まれてこなかったほうがよかったのは「私」だけでなく、「人類すべて」になりますから、人間は子どもを産まず、人口が減少して、最終的に人類は滅んだ方がいいという考えまでに行き着きます。
もし、そこまでのことを私たちが考えないにしても、「自分は生まれなかったほうが良かったのではないか?」と思った経験のある人はかなり多いのではないでしょうか?
こう言うと少し意外に思われるかもしれませんが、ぼくは大変自尊感情が低いのです。それはおそらく育てられ方に関係していると思います。
ぼくは自分を価値ある人間と思っていませんから、「何のためにこの人生を生きているのだろうか?」とよく自問自答します。
「生まれてこないほうが良かったのか?」という命題に対しても深い共感を覚えます。

終末期の医療の中で、患者は4つの苦しみを味わいます。「肉体的な苦痛」「精神的な苦痛」「社会的な苦痛」、そしてもう一つが「スピリチュアルな苦痛」です。
「スピリチュアルな苦痛」とは何でしょうか?それは死期を目の前にした患者が、「何のために自分は生きてきたのか?」「どうせ死ぬなら人生の意味は何だったのだ?」「こんなことなら、生まれてこないほうが良かったのではないか?」と魂が叫び声を上げることです。
現代の緩和医療・ケアで前者の3つはかなり克服できるようになりました。
しかし、「スピリチュアルな苦痛」は解決が難しく、オランダなどの安楽死の理由として最近大きく浮上してきています。
この苦痛に対して医療者はどう応えればいいのでしょうか?

また、障害児を育てる親が、障害児を原告として訴訟をおこす例があります。医師が障害の事実をちゃんと親に伝えていれば親は中絶を選んだので、自分は生まれてこなかった。医師のせいで自分は障害児という苦しい人生を歩まねばならない。その責任を取れ、というのがロングフル・ライフ訴訟です。
これはまさに「生まれてこなかったほうが良かった」という誕生否定・反出生の考え方です。
これに対する回答も私たち医療者は持っていません。

本書では、古代ギリシャ文学・古代インド哲学・ブッダの原始仏教・ショーペンハウアー・ニーチェの思想を掘り起こし、反出生主義の論理的自己撞着を炙り出し、それを乗り越えていこうとします。
ぼくも何かヒントを得たような気がします。
「生まれてこないほうが良かった」という固着を解体していく作業が生きる意味なのかもしれません。
つらくなったときは、またこの本を広げてみて、自分の存在・生きて在ることを肯定していこうと思いました。

ぜひ、みなさんも読んでみてください。オススメです。