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私がしたことは殺人ですか? (須田セツ子)2020年12月17日 21時25分51秒

私がしたことは殺人ですか?
川崎共同病院・安楽死事件の当事者の手記です。
気管支喘息の重積状態から心肺停止になった男性。蘇生に成功しますが、意識が回復しませんでした。
人工呼吸器から離脱できた(自分で呼吸していた)ものの、患者は植物状態に近く、鼻からは気管内チューブが挿入されていました。
須田医師は予後が極めて厳しいこと、つまり、命を取り留めてもこの先、寝たきり状態であることを夫人に伝えます。

須田医師は、患者の状態を終末期と判断します。奥さんは「気管内チューブを抜いてください」と言います。
医師は家族の心情を理解し、チューブを抜きます。ところが患者は苦悶の表情でえび反りになってしまったのでした。

須田医師は、セルシンとドルミカムを注射して患者を鎮静しようとします。ところがそれがうまくいかない。苦しげな呼吸が続き、医師は処置に窮します。
その時、他の医師から助言されたのがミオブロック=筋弛緩剤の投与でした。こうして患者は息を引き取ります。

裁判で検察は、この事件は安楽死の要件を満たしておらず殺人だと求刑します。
須田医師ら弁護団も、これは安楽死ではなく、終末期医療における医療の手控え・終了だと主張します。
つまり両者とも、安楽死とは言っていないのですね。
結果は有罪となります(執行猶予が付いた)。

この事件は犯罪として糾弾されるものなのでしょうか?
ぼくが同じ状況に立たされたら、同じことをやったでしょうか?
結論を言うと、やや似たことをやったかもしれませんが、根本的には違ったことをしていたと思います。

まず、患者が「植物状態である」という判断です。
植物状態とは、脳幹だけが生きている状態。つまり心臓と呼吸だけが働いている状態。意識はなく、体を動かすこともない。
つまり植物のように動かないという意味です。
患者が植物状態であるかどうか、最低でも脳のCTと脳波を測定すべきです。
このケースではその評価がない。医師は患者の状態を正しく評価せず、家族に極めて悲観的な予後を伝えていたことになります。
現に、抜管したあと、患者は苦しんでえび反りになります。これは植物状態とは言いません。
つまり、患者があとどくれくらい生きるのか、あるいは寝たきりとなって生き続けるのか、誰にも分かっていなかったということです。

ここをパスして、もし患者の残りの命があと数日だったら抜管は許されるでしょうか?
ぼくにはできない。それは命綱を切るような行為です。ぼくならモルヒネを使って痛みを取ります。
モルヒネは体の痛みのほかに、呼吸困難も和らげることができます。

そして抜管後に予想外の苦しみ。須田医師はパニックになったのではないでしょうか?
そして助言されるままにミオブロック を投与します。
これはさすがにアウトです。超えてはいけない一線でした。
これを「終末期医療における治療の差し控えの一環」と強弁することには無理があります。
事件は1998年です。当時、モルヒネなどのオピオイドを使った疼痛緩和は普通に行われていました。
須田医師にはそういう医療知識がなかったのではないでしょうか?
それに須田医師は「死の決定」を自分一人でやっています。
これもダメです。大学病院などでは全員の医師で回診し、全員が揃ったカンファランスで話し合います。独断では間違えることがあります。

『私がしたことは殺人ですか? 』という大変センセーショナルなタイトルが付いていますが、ぼくには「違いますよ」とはちょっと言えないな。

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