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安楽死のできる国(三井 美奈)2020年12月04日 23時40分16秒

安楽死のできる国
17年前の本ですが、書棚から取り出して読んでみました。
オランダは自由と寛容の国で、個人主義の国でもあります。1970年代から安楽死についてくり返し議論がなされ、2001年に安楽死法が成立しました。
この本が書かれたのは2003年ですが、実は安楽死に関する今日的論点はすべてこの本の中に書かれています。

印象的なことは多数ありますが、2点だけ触れておきましょう。
日本では、離職介護や老老介護の果てに高齢者を殺してしまう事件がたびたびあり、そうした事件を指して「だから安楽死が必要」という意見があります。
オランダ人の考えでは、こうした日本的な発想は大変に危険とされています。
本人の意思ではなく、家族が介護に嫌になって、安楽死を家族が言い出す危険があるからです。
オランダは国民皆保険であり、また福祉も介護も非常に充実しています。
高齢者は一人(あるいは夫婦)で生活し、子どもに生活の面倒を見てもらうという発想はありません。家族介護というものがありません。
そのかわり、人生に寄り添うのは家庭医です。
こうした充実した老後の環境があるからこそ、安楽死したいかどうか自己決定ができる訳です。
日本のように福祉・介護が貧困な国では安楽死はあってはならないというのがオランダの考え方です。

また、オランダのキリスト教はカトリックではなくカルバン派と言われるものです。個人は聖書を通じて神とつながります。間に教会はありません。
すると個人は聖書の言葉と共に、自分の内面を一人で厳しく見つめることになります。
究極の孤独とも言えるこうした宗教のあり方が、自分の死をめぐる自己決定につながっていくのです。

日本の安楽死は、肉体的苦痛の除去が用件の柱です。
現代の医学は鎮静とセデーションによって、肉体の痛みは克服されていると言っていい状態にあります。
したがって、日本には安楽死はあり得ないということになります。
治療の停止や差し控えは、実際の医療の現場で普通に行われていますが、こういうものは世界では安楽死とか尊厳死とは言いません。

ちょっと私見を書くと、日本で「安楽死で死にたい」と思うのは自由だし、ぼくもその心理は理解できます。特に自分という人間を大切に思えない(自分を価値ある人間と思えない)人には、自殺願望と背中合わせになった安楽死への期待や憧憬のようなものがあるように感じられます。
しかし、そのことは口にすべきではないとぼくは思うのです。
「安楽死で死にたい」と言われた周囲は、はっきり言って迷惑です。無理難題を吹っかけられている訳ですから。
人はどんな人間でも、人と人との繋がりの中で生きている社会的な生き物です。
そういう関係を切ろうとしてはいけません。
ま、そんなことを考えました。