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安楽死で死なせて下さい(橋田 壽賀子)2020年12月02日 16時52分52秒

安楽死で死なせて下さい
安楽死を一般の人はどう思っているのだろうかと考えたとき、この本の存在を思い出しました。
文藝春秋の読者賞もとっていますので、多くの日本人の意識の中に共通するものが、本書に中に書かれているのではと判断して読んでみました。
橋田さんはさすがに才能のある人、学のある人なので、安楽死とは何かとか、尊厳死とは何かという議論になるとちゃんと科学的なことを述べます。
そして自分は安楽死で死にたいけど、人に勧める気もなければ法制化の旗振りもしないと書いています。
ただ、老老介護や離職介護の果てに高齢者を殺してしまう悲劇に対して安楽死が制度化されていればこういうことは起こらなかったと言い切るところは、大変危険だと思いました。
では、橋田さんはどうして安楽死をしたいのでしょうか?
それは90歳になって、人生をやり切ったので、もうあとは静かに眠りたいということのようです。
つまり認知症にもなりたくないし、癌で痛い思いもしたくない・・・そんな感じでした。
ま、そう思うのは個人の勝手ですが、安楽死を実行する医者の苦悩も分かってくださいね。
そして一般の人たちの70%くらいが(安楽死+尊厳死)に賛成と言われていますが、その理由は橋田さんと同じようなところにあるのではないでしょうか?
橋田さんは(おそらく)大金持ちだと思いますが、日本人は貧困率が高く、経済的貧困に喘ぐ人が多く、自殺率も高いです。そういう国にあって、安楽死に国民の心が向かうのは理解できるなと感じました。
過日、ベルギーの友人と(英語で)安楽死について話しましたが、ベルギーの安楽死は非常に個人的な問題で、社会からの圧力や干渉はないと言います。
日本人は他人に対して安楽死に関して、構いすぎじゃないでしょうか?
京都のALS(安楽死ではない)嘱託殺人事件に関しても、それは理解できる・・・みたいな野次馬の声が多すぎる感じがします。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった(岸田 奈美)2020年12月03日 21時44分11秒

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった
現在、超ベストセラーです。
世間に遅れまいとぼくも読んでみました。
なるほど、こういう本が売れるのですね。
ぼくの本が売れない理由がよく分かりました(笑)。
ぼくにはこういう本は書けないし、目指している所も違うのかなと感じました。
エッセイが好きな人は、ぜひ、どうぞ。

安楽死のできる国(三井 美奈)2020年12月04日 23時40分16秒

安楽死のできる国
17年前の本ですが、書棚から取り出して読んでみました。
オランダは自由と寛容の国で、個人主義の国でもあります。1970年代から安楽死についてくり返し議論がなされ、2001年に安楽死法が成立しました。
この本が書かれたのは2003年ですが、実は安楽死に関する今日的論点はすべてこの本の中に書かれています。

印象的なことは多数ありますが、2点だけ触れておきましょう。
日本では、離職介護や老老介護の果てに高齢者を殺してしまう事件がたびたびあり、そうした事件を指して「だから安楽死が必要」という意見があります。
オランダ人の考えでは、こうした日本的な発想は大変に危険とされています。
本人の意思ではなく、家族が介護に嫌になって、安楽死を家族が言い出す危険があるからです。
オランダは国民皆保険であり、また福祉も介護も非常に充実しています。
高齢者は一人(あるいは夫婦)で生活し、子どもに生活の面倒を見てもらうという発想はありません。家族介護というものがありません。
そのかわり、人生に寄り添うのは家庭医です。
こうした充実した老後の環境があるからこそ、安楽死したいかどうか自己決定ができる訳です。
日本のように福祉・介護が貧困な国では安楽死はあってはならないというのがオランダの考え方です。

また、オランダのキリスト教はカトリックではなくカルバン派と言われるものです。個人は聖書を通じて神とつながります。間に教会はありません。
すると個人は聖書の言葉と共に、自分の内面を一人で厳しく見つめることになります。
究極の孤独とも言えるこうした宗教のあり方が、自分の死をめぐる自己決定につながっていくのです。

日本の安楽死は、肉体的苦痛の除去が用件の柱です。
現代の医学は鎮静とセデーションによって、肉体の痛みは克服されていると言っていい状態にあります。
したがって、日本には安楽死はあり得ないということになります。
治療の停止や差し控えは、実際の医療の現場で普通に行われていますが、こういうものは世界では安楽死とか尊厳死とは言いません。

ちょっと私見を書くと、日本で「安楽死で死にたい」と思うのは自由だし、ぼくもその心理は理解できます。特に自分という人間を大切に思えない(自分を価値ある人間と思えない)人には、自殺願望と背中合わせになった安楽死への期待や憧憬のようなものがあるように感じられます。
しかし、そのことは口にすべきではないとぼくは思うのです。
「安楽死で死にたい」と言われた周囲は、はっきり言って迷惑です。無理難題を吹っかけられている訳ですから。
人はどんな人間でも、人と人との繋がりの中で生きている社会的な生き物です。
そういう関係を切ろうとしてはいけません。
ま、そんなことを考えました。

殺人罪に問われた医師 川崎協同病院事件 — 終末期医療と刑事責任(矢澤 曻治)2020年12月05日 22時07分14秒

殺人罪に問われた医師 川崎協同病院事件 — 終末期医療と刑事責任
川崎共同病院事件について、刑事責任を問われた医師の弁護士が書いた本です。
本事件は、喘息の重積状態から心肺停止になった患者を「植物状態」にあると判断し、家族の了解あるいは嘱託のもと気管内チューブを抜いた医療事件です。
抜管してそのまま命が果てていれば、この一件は刑事告発されなかった可能性があります。
ところが患者がえび反りになって苦悶したため、医師はセルシンとドルミカムを投与します。
しかしそれでも患者が苦しがっていたために、ミオブロックを投与して呼吸を停止させて死に至らしめたのです。
普通に考えれば、これは家族の嘱託による殺人です。
安楽死とは別です。
治療の停止や差し控えとも異なります。
いや、いわゆる慈悲死かもしれません。
この本は、被告の弁護士さんが書いていますので、医師の行為を正当な終末医療の一環と主張していますが、それは相当無理があるような気がします。
さらに言っておけば、抜管後に患者がえびぞって苦しむなんて「植物状態」とは程遠いと思います。
医師は患者の脳のダメージの程度を根本的に見誤っていたのではないでしょうか。
ミオブロックを投与したのは、被告の医師がパニックになっていたというのが実情ではないでしょうか。

裁判というのは、真実を明らかにするというよりも、検察と代理人が互いに「技術的に」勝とうとする闘いで、真理追求の場なのか大変疑問に感じます。

医療の終末のステージで、患者の人生の幕を閉じるような行為をした経験のある医師は多数にのぼると思いますが、ミオブロックやカリウムを投与した経験のある人は、まずいないはずです。

韓国語に翻訳されました2020年12月09日 15時53分08秒

『発達障害に生まれて』(韓国語版)
拙著『発達障害に生まれて』(中央公論新社)が韓国語版として出版されました!
ハングルは読めないけど・・・うれしいです! (なお、日本語版は現在、8刷りです)

価格は16,500ウォン(=1580円)で2,000部だそうです。

韓国に友だちはいませんが、国際学会で韓国の小児外科医とランチを一緒にしたことがあったなあ(当然、会話は英語)。
誰か気づいてくれるかな?

安楽死裁判(三輪 和雄)2020年12月11日 23時21分33秒

安楽死裁判
日本の安楽死を論議をする際に、極めて重要な位置にある事件です。
東海大学病院で起きたこの事件は、多発性骨髄腫の末期患者に塩化カリウムを注射して死に至らしめたという強烈なものです。
検察はこの事件を安楽死とは認めず、殺人で医師を起訴します。
弁護側も安楽死という主張はせず(要件を満たしていないので)、終末医療の一貫と主張します。
裁判官だけが、安楽死とは何かついて考察を深めます。
その結果、判決で示されたのが、日本の安楽死4要件です。

さて、この裁判傍聴記を読むと、今まで知らなかったことが明らかになりました。
まずは時代性です。1991年の出来事ですから、患者にがんの告知は行われていません。
すると、患者は自分の終末に関する意思表示をしていない訳です。
自分が亡くなるとは思っていませんから。
現代の医療で、がんを本人に隠すのは相当例外的でしょう。小児でも告知します。
自分の最期をどう迎えたいのか、かなりいろいろな方法で表明できる状況になっていますので、2020年とはずいぶん違う点があるでしょう。

それから家族の執拗な「早く楽にして欲しい」という要望です。この医師は、最後の最後まで治療をするのが医師の使命と考えていました。ところが家族は強烈な圧力を医師にかける人でした。医師はその圧力に負けたとも言えます。
すると、家族の態度は「殺人教唆」ではないかという疑問が湧きます。
安楽死に本人の意思が重要なのは、この点にあります。
もし、家族が「もう介護はうんざり」と思って医師に安楽死を依頼すれば、それは殺人教唆であって安楽死とは大きく異なります。
だから自己決定が何よりも重要になるのです。

ぼくは、この医師は基本的にまじめな人だったと思います。
本書を読む前は塩化カリウムを注射するなんて、なんてひどい医師(人間)だと思っていましたが、おそらくギリギリまで追い詰められていたのでしょう。
患者の余命が幾ばくもないことを考えれば、情状酌量の余地は十分にあると考えます。

コーダの世界―手話の文化と声の文化(澁谷 智子)2020年12月12日 23時24分20秒

コーダの世界―手話の文化と声の文化
説明するまでもないと思いますが、コーダとは聾の親から生まれた健聴者の子どものことです。
少し古い本ですが、以前から読みたいと思っていたので購入してみました。

聾の文化には以前から関心を持っています。
聾学校では、手話が禁止されていると、みなさん、知っていますか?
小児外科では難聴の問題とけっこう関わりがあります。
まず小児がんでは、シスプラチンという抗癌剤を使います。これによって高度難聴になってしまう子がいるんです。
それから新生児の人工呼吸器管理。筋弛緩薬にミオブロックを長期に使いますが、これによって高度難聴になる子がいるんです。

視覚障害は人(本人)とモノとのコミュニケーションの障害。
聴覚障害は人(本人)と人とのコミュニケーションの障害です。
ぼくは自分の患者に高度難聴の子(すでに大人)がいますので、その苦労はよく理解しているつもりです。

では親が聾で、自分が健聴者だったら?
その大変さは単に言葉(コミュニケーション)の違いだけではなく、文化の違いにも及ぶのです。
そうしたコーダの世界を本書は余すところなく描いてくれました。
シリーズ・ケアをひらくは名著が多いですね。ただ、ちょっと本が大きくて重いのが欠点です。手首が痛くなります。新書みたいにすればいいのに。

聾文化についてこれからも勉強していくつもりです。

命 燃え尽きる―筋萎縮性側索硬化症を患う弟と過ごした2年間(恵 宏次)2020年12月13日 22時05分27秒

命 燃え尽きる―筋萎縮性側索硬化症を患う弟と過ごした2年間
ALSは10万人に数人の難病。
遺伝子の突然変異で発症しますので、誰もが罹患しうる病気です。
運動ニューロンが変性し、筋肉が衰え、最終的には呼吸筋が麻痺をします。
生き延びるためには人工呼吸器が必要になります。
呼吸器を使って生きようとする人は、30%くらいと言われています。
そうやって生きることを選択した人の手記や介護記はけっこうあるのですが、生きようとしなかった人の本はあまりありません。
本書は生き延びることを選ばなかった男性のきょうだいが書いた手記なので、読んでみました。

本人は呼吸器を選ばなかった理由を明確に語っていませんので、どういう心境だったかは正確には分かりませんでした。
ただ、時代として2011年ですから、重度訪問介護のシステムもまだ十分には整っていなかったかもしれません。
子どもたちが高校生くらいだったため、家族にケアの負担をかけることが嫌だった可能性もあります。
あるがままの運命を受容し、天国へいったように見えてなりません。

どう死ぬかとは、どう生きるかの裏返しです。この方がこういう死を選んだということ自体が、自己の生きる哲学を示していると感じます。
ぼくならどうするかな?
それは自分自身がどれだけ自分を肯定できるかにかかっていると思いますが、この話には深入りしないでおきます。
自分の生と死についてたくさん考えました。

私がしたことは殺人ですか? (須田セツ子)2020年12月17日 21時25分51秒

私がしたことは殺人ですか?
川崎共同病院・安楽死事件の当事者の手記です。
気管支喘息の重積状態から心肺停止になった男性。蘇生に成功しますが、意識が回復しませんでした。
人工呼吸器から離脱できた(自分で呼吸していた)ものの、患者は植物状態に近く、鼻からは気管内チューブが挿入されていました。
須田医師は予後が極めて厳しいこと、つまり、命を取り留めてもこの先、寝たきり状態であることを夫人に伝えます。

須田医師は、患者の状態を終末期と判断します。奥さんは「気管内チューブを抜いてください」と言います。
医師は家族の心情を理解し、チューブを抜きます。ところが患者は苦悶の表情でえび反りになってしまったのでした。

須田医師は、セルシンとドルミカムを注射して患者を鎮静しようとします。ところがそれがうまくいかない。苦しげな呼吸が続き、医師は処置に窮します。
その時、他の医師から助言されたのがミオブロック=筋弛緩剤の投与でした。こうして患者は息を引き取ります。

裁判で検察は、この事件は安楽死の要件を満たしておらず殺人だと求刑します。
須田医師ら弁護団も、これは安楽死ではなく、終末期医療における医療の手控え・終了だと主張します。
つまり両者とも、安楽死とは言っていないのですね。
結果は有罪となります(執行猶予が付いた)。

この事件は犯罪として糾弾されるものなのでしょうか?
ぼくが同じ状況に立たされたら、同じことをやったでしょうか?
結論を言うと、やや似たことをやったかもしれませんが、根本的には違ったことをしていたと思います。

まず、患者が「植物状態である」という判断です。
植物状態とは、脳幹だけが生きている状態。つまり心臓と呼吸だけが働いている状態。意識はなく、体を動かすこともない。
つまり植物のように動かないという意味です。
患者が植物状態であるかどうか、最低でも脳のCTと脳波を測定すべきです。
このケースではその評価がない。医師は患者の状態を正しく評価せず、家族に極めて悲観的な予後を伝えていたことになります。
現に、抜管したあと、患者は苦しんでえび反りになります。これは植物状態とは言いません。
つまり、患者があとどくれくらい生きるのか、あるいは寝たきりとなって生き続けるのか、誰にも分かっていなかったということです。

ここをパスして、もし患者の残りの命があと数日だったら抜管は許されるでしょうか?
ぼくにはできない。それは命綱を切るような行為です。ぼくならモルヒネを使って痛みを取ります。
モルヒネは体の痛みのほかに、呼吸困難も和らげることができます。

そして抜管後に予想外の苦しみ。須田医師はパニックになったのではないでしょうか?
そして助言されるままにミオブロック を投与します。
これはさすがにアウトです。超えてはいけない一線でした。
これを「終末期医療における治療の差し控えの一環」と強弁することには無理があります。
事件は1998年です。当時、モルヒネなどのオピオイドを使った疼痛緩和は普通に行われていました。
須田医師にはそういう医療知識がなかったのではないでしょうか?
それに須田医師は「死の決定」を自分一人でやっています。
これもダメです。大学病院などでは全員の医師で回診し、全員が揃ったカンファランスで話し合います。独断では間違えることがあります。

『私がしたことは殺人ですか? 』という大変センセーショナルなタイトルが付いていますが、ぼくには「違いますよ」とはちょっと言えないな。

がんと外科医(阪本 良弘)2020年12月28日 16時30分12秒

がんと外科医
大変いい本でした。
本を貫く1本の柱のようなものはないのですが、章ごとにとても読み応えがありました。
先生の実力と人格が文章ににじみ出ているな、そんな印象を受けました。
ただ、この本は一般の人にはほとんど理解は無理ではないでしょうか?
肝切除の話は外科医でないと分からないと思います。
先生はとても丁寧に説明していますが、肝切除の難しさ、特に短肝静脈の処理の仕方など、経験した人にしか分からないでしょう。
その真髄は、「がまん、がまん」にあるとしています。
そうなんですよね。外科医ってどれだけがまんできるかが大事なんですよね。
そういう所の話はとても良かったと思います。

そして恩師・幕内先生。
そうなんだ、そんなに偉大な先生だったのか。
ええ、もちろん名声は日本中に知れ渡っていましたが、そこまですごい人だとは知りませんでした。
ICG15分値テストを考えた先生だったとは、それは知りませんでした。申し訳ありません。

外科医は24時間働いて、それに矛盾を感じなくなったときに、いい医者になれる・・・先生はそういう金言を述べたそうです。
しかし、現在の働き方改革からすると、こういう考えはもはや通用しません。この新しい時代にどうやって外科医を育てるのか、現代の教授たちは大いに悩んでいることでしょう。