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ルポ「命の選別」 誰が弱者を切り捨てるのか? (千葉 紀和, 上東 麻子)2020年11月22日 17時13分10秒

ルポ「命の選別」 誰が弱者を切り捨てるのか?
これは大変な力作です。
新聞記者にしか書けない書籍であるし、また、新聞記者であれば誰でも書けるという作品でもありません。
ジャーナリズムの仕事や作家の文筆活動において、「立場のない」立場というものは存在しません。
必ずなんらかの視点があるわけです。
そしてそういう立場は、意見として表明するのではなく、事実の積み重ねを読者に提出することで説得力を持つのです。
これが取材力です。
そういう意味で本書の完成度は極めて高いと言えます。

では著者たちの立場とはなんでしょうか?
それは前著に遡ります。
1996年に廃止になった優生保護法によって、それまでに2万5千人の障害者たちが不妊手術を強制されました。
法律の名の通り、これは優生思想に基づきます。
『強制不妊―旧優生保護法を問う』はその集大成でした。
優生思想は許されないーそれが著者たちの立場です。

では、優生思想は私たちの社会から消えたのでしょうか?
いえ、そうではありません。科学技術の発展(本当の意味でのサイエンスにあらず)と、ビジネスの論理によって、私たちの心の中に潜む優生思想は、掻き回されて水面に浮上してきたように見えます。
その最たるものがNIPT(新型出生前診断)です。
妊婦の不安を煽って金儲けをしようとする診断技術が、どうして「妊婦のニーズに応える」という理屈になるのでしょうか?

また、ゲノム編集による治療、受精卵診断による「正常でない」胚の破棄など、非常に読み応えがありました。
障害が重いために保護者が治療を拒否する例を書いた章では、読んでいて胸が苦しくなりました。
ぼく自身もヨミドクター『いのちは輝く』でそういう連載をして、「治療する必要などない」という障害児を否定する多数の意見をもらったり、脅迫状まがいの手紙を受け取った経験があるからです。
そしてグループホーム建設に際しての、近隣の反対運動の激しさには暗澹たる気持ちになりました。自分たちが差別者になっているという自覚が薄いのは、集団心理のようなものがあるのかもしれません。
相模原障害者殺傷事件の背景を描いた章にも、かなりの衝撃がありました。
植松死刑囚の犯した罪を断罪することは当然としても、ジャーナリズムの仕事はその背景を突き詰めて、将来同様な事件が起きないように本質を抉りだすことです。そういう深さが本書にはありました。

本書の一部は毎日新聞に連載されていました。
新聞には「同時性」とか「影響力」とか優れた面が多数ありますが、紙幅の限界という欠点もあります。取材班の二人はコツコツと取材を積み上げて、新聞報道を遥かに凌ぐ書籍を完成させました。
こういう本こそが、ぜひベストセラーになって欲しいです。
いえ、たとえそうならなくても、誰かに心に突き刺さって、長く読まれて欲しいと切に願います。
みなさんもぜひ読んでみてください。そして命って何だろうと、当たり前すぎて普段考えないことを考えてみてください。

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