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万葉学者、墓をしまい母を送る(上野 誠)2020年09月14日 20時53分30秒

万葉学者、墓をしまい母を送る
これは本当に面白い本でした。
葬儀とかお墓をめぐる民俗的な考察エッセイです。
かつては、葬儀というのは個人のものではなく、地域のイベントだったのですね。
確かにぼくが医者として若い頃に参列した葬式は大掛かりなものばかりでした。
しかし時代とともに、家族葬とか直葬とかが登場し、葬式は縮小していきました。
その理由はいろいろとあるでしょう。
地域社会が縮小したということもあると思いますが、死の祭り事に大金を費やすことの疑問が生まれてきたということもあるのかもしれません。
お墓自体もとても簡素化されています。
昭和の時代には墓の威容を競い合うという文化もあったのでしょう。
ぼくは3年ほど前に両親を相次いで亡くしましたが、当人たちの希望で墓は作っていません。
樹木葬という奴です。
確かにそれもありかな・・・と思います。誰が墓守をするんだという宿題が家族には残りますよね。
ぼくも墓を持っています。
2番目の子が死産だったから。質素な墓を千葉市公園墓地に作りました。
でもこの墓を、われわれ夫婦が死んだあと、どうしたらいいのか? 娘二人に管理させるのはとても申し訳ないと思ってしまいます。

さて、この本には面白い指摘があります。
かつては死は身近にあったため、人間は死と共存していた。ところが医学が発達して人は簡単に死ななくなった。すると、人間は死を恐れるようになったというのです。
飼い慣らされていた死が、野生の獣のように人に襲いかかるわけです。
現代の死は、「飼い慣らされた死」から「野生の死」に変化したのです。
これはかなり当たっていると思います。

今年度のエッセイスト賞受賞作です。それも当然の傑作です。オススメします。