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高橋英世先生の思い出2019年02月08日 15時27分44秒

はじめて先生に身近に接したのは、医学部6年生の時のベッドサイドラーニングでした。
小児外科病棟には30人くらいの患者が入院していましたが、1号室の最初のベッドで、われわれ学生は教授から2時間くらいみっちり絞られるのです。
たった1人のベッドに2時間ですから、この先どうなるんだろうと目眩がする思いでした。
先生の質問は大変厳しく、またある意味で答えがなく、延々と学生に考えさせて真理を追求するというスタイルでした。
先生の実習は、その厳しさから、当時スパルタ教育で名を馳せた私塾に模して「高橋ヨットスクール」と学生の間で呼ばれていました。
しかし、単に知識を問うだけではない実習は、ある意味感動的でした。
昼過ぎにベッドサイドラーニングが終わると、小児外科に進むことが決まっていた僕に対して、同じグループの蓑島君が「おめでとう! すばらしい教授のもとで勉強できるね!」と言ってくれたのが印象的でした。

先生は、中山恒明先生の第二外科の伝統を最も正当に受け継いだ教授と言われていました。
最後の大物教授とも、教授の中の教授とも評判をとっていました。

先生の手術の指導は大変厳しく、初オペの鼠径ヘルニアの時は、前立ちを務めながらも一切手伝わず、怒声だけが飛んでくるというスタイルでした。これによって若い外科医は独立心を学びます。
僕の初オペは比較的短時間で終わったのですが、研修医の終わりにやった卒業試験では、鼠径部の解剖が分からなくなってしまい、手術中に立ち往生してしまいました。
手術が終わってどれだけ怒られるだろうかビクビクしていたら、ポケベルが鳴り、教授室に呼び出されました。
同僚の我妻君とおそるおそる教授室へ向かうと、外套を着込んだ教授が部屋の前に立っており、「おう、酒でも飲みにいくか!」と声をかけてくれました。

外科医としては、勘と度胸で手術をする先生でした。そう見えました。
しかしサイエンスに対する深い理解があり、基礎科学をコツコツとみんなで積み上げれば、やがてそれは大きな壁として立ち上がると説いてくれました。
僕に、分子生物学を学ぶ道を開いてくれたのも先生です。このご恩は一生忘れることができません。

さて、高橋先生の現役最後の最終手術はヒルシュスプルング病でした。退官前の最終オペは、普通は簡単なものを選ぶのが常道だと思います。しかし、先生はヒルシュスプルング病でした。
誰が前立ちを務めるのか?
白羽の矢が立ったのは、教室でナンバー4の位置にいた僕でした。こんな光栄なことはありません。
先生と一緒にヒルシュのオペをして、その手際の鮮やかさに仰天しました。ああ、勘と度胸の人ではないのだと思いました。理詰めのオペでした。
手術が終わって最後の糸を僕がハサミで切るとき、僕の手はピタリと止まりました。
「何をやってる!? 早く切れ!」教授がそう言いました。
僕は教授に言い返しました。
「切ると終わっちゃいますよ」
先生はニカッと笑いました。

先生、さようなら。
でもいつか僕もあの世に行きます。その時はまた手術の話をしながら、一杯やりましょう。