アクセスカウンター
アクセスカウンター

亜由未が教えてくれたこと―〝障害を生きる〟妹と家族の8800日(坂川 裕野)2018年11月04日 22時40分52秒

亜由未が教えてくれたこと―〝障害を生きる〟妹と家族の8800日
本書の良くない点を先に書いてしまいます。
それは、筆者がNHKのドキュメントを作ると言う、いわば自然ではない動機、流れで妹さんのケアをしているところです。
それはそれでセルフドキュメントにはなっていますが、ケアされる人とケアする人間の双方向性がナチュラルに見えないのです。
しかしそんな点を補って余りある優れた点が多数あるノンフィクションでした。

一つは、重度障害者と社会との関わり合いですね。障害者は一人では生きられません。また生きようとしてはいけません。
ご両親は自宅を「あゆちゃんち」と名付け、さまざま催しを通じて自宅を開放します。
これによって障害者は地域社会と共生できるのです。

2点目はやはりお母さまの愛情の深さですね。
障害者を育てる親が「自分は幸福です」というと、世間からは「それって強がっているのでは?」という反応が返ってくることが多々あります。
なぜでしょうか?
おそらくその理由は、自分だったら障害児(者)の世話をしたくないという忌避感からだと思います。
「障害児を授かったら人生終わり」みたいな台詞がSNSで駆け巡ったりしましたが、それは大変軽率な発言です。
自分だったらこう思うとは、いくら言っても構いませんが、人の人生に対して見下すようなことを言う人間は、人として余りにも未成熟です。
障害児を受容できず、我が子を病院に捨て子みたいにしてしまう人を僕は見た経験がありますが、そういう人はおそらく健常児を授かってもしっかりとした愛情を注げないと思います。
親から見たら我が子は無条件に可愛いものですが、この世には、我が子を虐待する親もいます。
多くの場合でその親自身の育ち方に問題があったのでしょう。
自分を肯定できない親は、自分の子どもも肯定できません。
それが児童虐待の本質で、我が子が障害児であるというのは、虐待の単なるきっかけに過ぎず本質は別の所にあります。

3つめは、きょうだい問題です。
障害児や病気の子のきょうだいは、大変複雑で辛い思いをします。この問題の解決はなかなか難しく、今後、医療的課題としてますます重要になり、支援の工夫がなされていくと思います。

本書は、障害児を授かった家族がどうやって「障害のある人生」を生きていくか、きっちりと描ききった名著だと思います。
オススメです。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック