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脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出 (新潮新書) 鈴木 大介2018年02月18日 15時26分19秒

脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出
「脳が壊れた」の続編です。
脳梗塞から2年が経過し、脳の働きは95%にまで回復したそうです。本当に良かったですね。次回作は、自分の脳のことではなく、第三者を対象としたルポとなることでしょう。

さて、本書は闘病記というよりも、自分の病状を深く分析した本になっています。患者当事者が書いた専門書・医学書という感じでした。
ぼくは小児外科医ですので、こうした神経内科的な知識は30年前の医学生のレベルで止まっています。従って理解できない部分も少々ありましたし、感心するところ多々という感じでした。
ちなみに鈴木さんご夫婦は脳神経外科医の説明に少し不満を持っているようですが、脳外科医って脳の「働き」にとても詳しい訳じゃないんです。「器質」としての脳に詳しいんです。

本書の最後の方に「受容」に関することが出てきます。
ここは大変興味深く読みました。

左手の麻痺が残っていた鈴木さんが音声入力環境を整えると作業療法の先生から強く制止される場面があります。
ここにリハビリとは何かが象徴的に表現されています。
音声入力に頼ると左手の機能回復を得ることを「あきらめてしまう」ことになる訳です。
つまりこの時点で、鈴木さんの左手は機能回復すると先生は読んでいた訳です。
では、完全に左手が動かなくなったまま状態が固定したら?
その時は、音声入力の環境を整えるのです。つまり「あきらめる」。
リハビリ医学とは「あきらめ」の医学なんです。
ただその過程で「あきらめ」てはいけないという「あきらめない」医学なんですね。

鈴木さんは受容には2種類あると言います。
一つは、「諦めを伴う受容」。抗うことをやめてしまう。
もう一つは、障害を認識し、周囲の環境整備に工夫を施し、障害を和らげるもの。
ですが、これって僕の考えによれば、2種類存在するのではなく、1段階目と2段階目なんだと思います。
上記の例で言えば、回復可能であれば、左手のリハビリをあきらめずにやるが、永久的に機能が回復しないとわかったら、あきらめて、音声入力の環境を整えるということです。

この本のあとがきに、奥さんの手記が載っています。
この文章がまた大変いいのですが、惜しいことに分量がとても少ない。
奥さんの話もじっくり聞いてみたいな。

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