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障害受容からの自由―あなたのあるがままに(田島明子 編著)2017年05月29日 23時04分43秒

障害受容からの自由―あなたのあるがままに
障害当事者が自分の障害を受容していくことと、障害児の保護者が我が子の障害を受容していくことが書かれています。

僕が多くの障害児やがんの子どもを見てきた中で、至った結論というものは、受容には時間がかかるということです。
そして同時に受容に至るきっかけなんて無いということです。
従って、受容できていない親に対して受容を強制することほど愚かなことはありません。
医療者は辛抱強くずっと待っているべきです。

ただし、受容していない親が道を踏み外してしまうこともあります。
それはまさに横塚晃一さんが言う「母よ! 殺すな」ということです。
医療者はそこの部分をケアしてあげていればいいのでは?
どんな人間だって自分が障害者じゃない方が良いし、自分の子どもが障害者じゃない方が良いに決まっています。
しかしながら、障害を持って生きるということが、大変だけど、絶望的に不幸ではないことを医療者は知っていなくてはいけない。
障害児の人生をどうやって作っていくかは、親に決めることができると教えてあげられたら、障害児の生活もまた変わっていくと思います。

勉強になる一冊でした。

第1回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞2017年05月30日 21時16分04秒

大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞
ノンフィクション賞として最も権威のある大宅賞がリニューアルしました。
その名も「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」。
読者からの投票も参考にして大賞が選考されます。
その第1回の栄誉に輝いたのは森健さん。
第22回小学館ノンフィクション大賞を受賞した「祈りと経営」で栄冠を勝ち取りました。

僕と森さんの出会いは数年前。
当時僕は講談社「g2」のwebで、ノンフィクション作家にインタビューを行っていました。
森さんは、「つなみの子どもたち」で第43回大宅賞を受賞していました。そこでインタビューを申し込んだのです。
お会いしてみると、なんと森さんは僕の著作「命のカレンダー」を読んでくれていて、とても感激したと言います。
この時の出会いをきっかけにお付き合いが始まりました。
「命のカレンダー」が中公文庫から「小児がん外科医」として再版された時は、解説を書いてもらいました。

その後、千葉で飲んだり、東京で飲んだり。
大作家だからといって、全然偉ぶらないところが素晴らしいと思います。

さて、大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞は、読者投票をおこなった読み手にも賞が出されます。
候補の5作品に対して140字以内のレビューを付けて投票します。
すべての投票者のうちレビューが優れていた5人にベストリーダー賞が贈られるのです。
で、今日、日本文学振興会から連絡が来て、僕の書評がベストリーダー賞に選ばれました。授賞式に招待されるそうです。
嬉しいじゃないですか。森さんの嬉しそうな顔を見に行こうかな。

なお、毎日新聞の記事によると、投票した読者は4054人だったそうです。

定年後 - 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書) 楠木新2017年05月31日 22時05分28秒

定年後 - 50歳からの生き方、終わり方
大学に在籍中、ぼくの夢は定年を迎えることでした。
当時の大学病院は(今は違う)、理不尽な仕事や意味の無い雑用が多すぎて、毎日が本当に辛いと感じていました。
ぼく中間管理職だったので、上からは無理難題を押しつけられ、下からは不平不満をぶちまけられました。
ああ、早く辞めたい。早く定年を迎えたいと思っていました。

そして現在は開業医。なので、定年というものがありません。
仕事をしていて辛い思いをすることは、大学の頃とは比べられないほど少なくなっています。そういう意味ではすぐに辞めたいとは思わない。
ぼくが雇用しているスタッフの人生にも影響しますから、さっさと辞める訳にはいかない。

だけど人間ってどこまで働けばいいのでしょうか?
もちろん個人差はありますが、元気に旅行に出かけたりできる年齢は75歳くらいまでではないでしょうか?
すると65歳で仕事を辞めると、自由な人生を謳歌できるのはわずか10年しかないことになります。たったの10年か。

高齢になれば「がん」に罹る可能性も高まります。すぐに命は持って行かれなくても、何年も闘病が必要かもしれません。
そうなるとその10年はあまり楽しくないかもしれない。
人は、自分の死を明確に意識すると、自分の生の残り時間を逆算し、本当の人生の意味を見出したりすると言います。

ぼくの場合、それは何だろう? やはり死が迫ってこないと分からないのかな?
ただ一つ言えることは、自分の人生のテーマは「人間とは何か」という命題に答えを出したいという思いです。
もちろんまだ答えは出ていませんが、2008年から細々と本を執筆することで、解答を作り上げていっているつもりです。
死ぬまでその答えを追い求めることが、ぼくの人生の生きる意味かもしれません。