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鬼手仏心 (高崎 健)2017年03月14日 22時08分53秒

鬼手仏心
千葉大学医学部が世界に誇る中山恒明先生の評伝です。
筆をとったのは、お弟子さんの消化器外科の先生。
中山恒明先生というのは、日本の、いや、世界の食道外科の基本を作った先生です。
先生が千葉大にいた当時、全世界の食道癌の成功例の半数は中山先生による手術だったとされています。
千葉大医学部の正門の前には旅館がずらりと並んでいました(この20年くらいで消えてしまった)。
それは、全国から中山先生の手術を希望して患者さんが千葉に集まってきたからです。
山崎豊子の「白い巨塔」の主人公である財前五郎が中山先生をモデルにしていたのは、この業界では有名な話です。

さて、先生がご立派だったのは、弟子を育てたことに尽きると思います。
手術の方法に工夫をこらし、誰もが簡単に確実に成功する手術方法を開発し、それを日本中、世界中の外科医に惜しげもなく教えたのです。
この姿勢は研修医に対するトレーニングにも通じていて、先生は何千人という新人外科医を教育しました。

この本には書かれていませんが、先生は患者の死亡時刻を18時間ずらすという事件に関わりました。ずれた18時間の間に内縁の妻が、患者さんと婚姻の手続きをして財産の相続をしたのです。
結果、千葉大学を辞し、東京女子医大に移って消化器病センターを作ることになります。
千葉大第二外科では、第2代教授をつとめていましたが、二外科の骨格を作ったのは中山先生と思われています。
そして二外科の伝統を、良い意味でも悪い意味でも最も色濃く引き継いだのが、僕の所属した小児外科教室と言われています(今はもう違うかもしれないけど)。

ですが本書を読むと、患者中心主義とか、若手を育てるとか、そういう中山スピリットが小児外科教室に脈々と生きていたかは少し疑問に思いました。
なにしろ小児外科初代教授先生は、「オレは教えない。盗め!」と広言していましたから。

さて、時代の流れとは残酷なもので、中山先生が開発した手術のうち今日でも残っているものはあるのでしょうか?
ビルロートの手術とか、葛西の手術のように、歴史に名を残すものは存在していないようです。
その時代の中で最先端のことをやる事と、未来を切り開く事はちょっと違うようですね。

先生は2005年に94歳でお亡くなりになっています。僕は、77歳の先生にお会いしたことがあります。長身で背筋がピシッと伸びていて、とてもカッコいい立ち居振る舞いでした。