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外科医の腕は何で決まるのか がん手術のすべてがわかる (幻冬舎新書) 羽鳥 隆2017年03月04日 17時13分04秒

外科医の腕は何で決まるのか
筆者の羽鳥先生は、僕とほぼ同じ年齢の外科医です。
東京女子医大消化器病センターで修行を積んだようです。
このセンターを作ったのは、千葉大第二外科が世界に誇る中山恒明先生です。ですから、僕と羽鳥先生は遠いところで繋がっているかもしれません。
本書にも、千葉大第一外科の教授の言葉「獅胆鷹目 行以女手」が出てきます。ですので、とても親近感を覚えます。
さて、外科医の腕前とは一体何でしょうか?
いろいろな観点から外科医の技術について書かれています。
一般の人が読むと、驚いたり感心したりするかもしれませんが、ま、一応僕も外科医だったので、特段珍しい指摘は無かったように思えます。
ただこの本を読んでいて、筆者はとても患者さんの意志を尊重する先生だなと感銘を受けました。
成人の医療とはそういうものかもしれませんね。
小児医療では(小児科でも小児外科)でも、医者のパターナリズム(父権主義)がとても強く、医者が親に代わって子どもを治そうと主導権を握ることが多々あります。
僕は開業医なので、もうそういうことはありませんが、大学病院などで難病の治療にあたる時など、医師が親を叱る場面があります。
子どもにとって最善の治療が何であるか、それを決めるのは親なのか、医者なのか、そのへんの葛藤は拙著「小児がん外科医」(中公文庫)にも書きました。

外科医の腕は何で決まるのか? 僕にも自説があります。再来月あたりにヨミドクターに書かせて頂こうと思っています。

「医師アタマ」との付き合い方―患者と医者はわかりあえるか (中公新書ラクレ) 尾藤 誠司2017年03月04日 21時34分58秒

「医師アタマ」との付き合い方
「医師アタマ」とは、石頭のことで、医者とはあまねく最高の医療を患者に提供しなければいけないと信じ込んでいる状態を言うそうです。
僕にとっては初耳でしたが、医療の世界では頑固な医師を揶揄して陰口のように使われる業界用語のようです。
患者と医師の、意志の疎通の問題には僕もとても関心があります。
この本は、そういうコミニュケーションの解決法を書こうとしたのだと思いますが、残念ながら僕にはあまりピンと来る部分がありませんでした。
なぜでしょう?
僕は長年大学病院で仕事をしてきました。スタッフの数は教授以下10名くらいですが、1年ごとに若手の入れ替わり(関連病院へ出向したり戻ってきたりする)があるため、一緒に仕事をした医師はかなりの数になります。
それぞれが個性豊かな面白い奴(女性もいた)ばかりで、この本で言うところの医師アタマの人は見たことがありません。
ま、自覚していないだけで自分も医師アタマなのかもしれませんが、ここで描かれている医者は、やはり成人の内科医の姿だと思います。
ですので、医師ー患者関係の良い指南書にはなり得なかった感じです。
「お金は二の次である」という部分などは、開業医のことを全然考えていないのかなと思います。
開業医の中には、「薬だけ」とか言って、患者さんを診察しないで薬を処方し再診料を取っている医者います。
これは法律違反のカネ儲けです。
ちなみに僕は、自分の診療行為がいくらなのかまったく知らずに診療をやっています。
でもたしかに大学病院の医者はコスト計算などまるでしません。
それは「二の次」という問題ではなくて、面倒なので、そんなことはしないのです。
つまりたとえば、超音波検査をしたのにコストを請求しないことすらあります。
「同じ診療内容なのに、今日は料金が違う」と大学にいた時に保護者からクレームをもらったことがありますが、それは毎回ちゃんと正規の金額を請求していないからです。
ま、要するに家族としては得をしていた訳ですね。
逆に医者の方は、国に対して背任行為をしていた訳です。

説明と同意の問題はなかなか奥が深く、現在の医療でこれを抜きに医療が成り立たないのは間違いありませんが、医師と患者の相互理解の一手段になっている一方で、溝を作る要因になりかねないリスクも内包しています。
医師と患者(家族)のより良い関係については、今後も考えていきたいと思っています。
ヨミドクターでもいずれ書かせて頂きたいと原案を練っています。