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フレディ・マーキュリーの生と死2017年01月31日 22時06分15秒

フレディ・マーキュリーの生と死
中学生の頃、僕はクイーンの大ファンで、彼らのLPレコードをくり返し聴いていました。メジャーになった後期よりも初期の作品に好きな曲が多かった印象があります。
しかしなんと言っても、彼らの最高傑作は「ボヘミアン・ラプソディ」であることは誰しもが認めることでしょう。
僕も大好きでした。
華麗にして壮大な曲、目まぐるしく変転する重厚な構成。こんなロックがあるのか驚き感動したものです。

クイーンは一人ひとりに才能がある優れた個性が集まった4人組みですが、フレディ・マーキュリーのヴォーカルは世界最高レベルのロックだったと思います。
その彼は、1991年11月23日に、自分がHIVに感染していることを公表しました。
日本でも夜のニュース番組で流されました。
当時、HIV感染症(AIDS)は死に至る病でしたので、その時の衝撃と言ったらなかなか言葉になりにくいものがありました。
さらに驚くことがあり、翌日の夜のニュースで、フレディ・マーキュリーが45歳の若さで亡くなったことが報じられたのです。
この時、僕は29歳。それからもクイーンの音楽を聴き続けました。

そしてある時に、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞が、深い意味を持っていることに気付きました。

『ママ、たった今、人を殺したよ
彼の頭に銃を突きつけて
引き金を引いたら、彼は死んだ 』

これは何を意味するのか?
フレディ・マーキュリーはゲイでした。彼はゲイであることを隠し続ける自分をやめて、カミングアウトの道を選んだのです。
つまり、彼が殺した人間とは、以前の自分自身なのです。
では、ゲイであることを公にした人生が、晴れやかで堂々としたものであるかと言うと、そうではありません。
ゲイを生きることに彼はものすごい恐怖を感じていました。

歌詞に My time has come とあります。中学生の頃、僕はこの意味がわかりませんでした。
今ならはっきりわかります。
Time とは「死期」です。かつてイギリスではゲイは罪でしたから、1990年頃にも偏見が残っていたはずです。
彼はゲイに誇りを持つことなどはできず、絶望の中で叫んだのです。

『もう遅すぎる、死ぬ時が来た
背骨の中を恐怖の震えが貫く
体中が痛みで満ちる
みなさん、さようなら、僕は行かなくては
あなた達のもとを離れ、真実と向き合うよ
ああ、ママ
死にたくないよ
時々願ってしまう、こんなことなら生まれてこなければよかったと』

何という凄絶な歌詞でしょう。
フレディ・マーキュリーが「ボヘミアン・ラプソディ」を歌い上げる時、まるで魂の叫びのように声が天空に舞い上がっていきます。
それは文字通り、自身の命を懸けた歌だったからでしょう。

すっかり歳をとってしまった僕は、フレディの「ボヘミアン・ラプソディ」を聴くたびに落涙しそうになります。