「唐牛伝 敗者の戦後漂流 」( 佐野 眞一) ― 2016年08月13日 21時18分01秒
佐野さんの復帰作です。
佐野さんのノンフィクションは、なぜ自分はこの人を書くのかという執筆の動機がいつもはっきりしています。
そういうことが前書きにしっかりと書かれています。
ぼくは、前書きに惹かれて本書を購入しました。
佐野さんの文章のうまさはちっとも錆びついていないなというのが最大の感想です。
しかしながら、唐牛さんという人物は、果たして「怪物」でしょうか?
佐野さんは、正力松太郎は書くけど、渡辺恒雄は書かないと言っています。なぜならば、正力松太郎は「怪物」だけど、渡辺恒雄は「怪物」ではないからだそうです。
では、唐牛さんは渡辺恒雄さん以上の「怪物」でしょうか?
いや、ちょっとそれは過大評価でしょう。
同時に渡辺さんに対する過小評価でしょう。
本書をどう評価するのかということは、同時に60年安保の意味と、60年安保における唐牛さんの位置づけをどう評価するかということと同じです。
「東電OL殺人事件」における佐野さんの執念みたいなものと比べると、非常に淡白な出来に仕上がっています。
60年安保からもう50年が経過していますから、それは仕方ないかもしれません。
60年安保とは結局何だったのか? そして今の日本にどうつながっているのか?
唐牛さんを通じてそれが明らかになったかと言うとちょっと微妙かなと思います。
ノンフィクション好きの人はぜひどうぞ。
佐野さんのノンフィクションは、なぜ自分はこの人を書くのかという執筆の動機がいつもはっきりしています。
そういうことが前書きにしっかりと書かれています。
ぼくは、前書きに惹かれて本書を購入しました。
佐野さんの文章のうまさはちっとも錆びついていないなというのが最大の感想です。
しかしながら、唐牛さんという人物は、果たして「怪物」でしょうか?
佐野さんは、正力松太郎は書くけど、渡辺恒雄は書かないと言っています。なぜならば、正力松太郎は「怪物」だけど、渡辺恒雄は「怪物」ではないからだそうです。
では、唐牛さんは渡辺恒雄さん以上の「怪物」でしょうか?
いや、ちょっとそれは過大評価でしょう。
同時に渡辺さんに対する過小評価でしょう。
本書をどう評価するのかということは、同時に60年安保の意味と、60年安保における唐牛さんの位置づけをどう評価するかということと同じです。
「東電OL殺人事件」における佐野さんの執念みたいなものと比べると、非常に淡白な出来に仕上がっています。
60年安保からもう50年が経過していますから、それは仕方ないかもしれません。
60年安保とは結局何だったのか? そして今の日本にどうつながっているのか?
唐牛さんを通じてそれが明らかになったかと言うとちょっと微妙かなと思います。
ノンフィクション好きの人はぜひどうぞ。
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