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「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか:〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生 」藤原 章生2015年10月06日 22時35分24秒

湯川博士、原爆投下を知っていたのですか
森一久さんという一般にはまったく馴染みのない人の評伝です。
この方は、原子力村のドン。
しかし推進派ではなく、かと言って反対派でもない。
日本の原子力の平和利用の過程をずっと監視していたのでしょう。

森さんの生涯は、日本の原発の歴史に寄り添うことになります。
彼の人生を辿れば、広島の原爆投下から福島原発事故の直前までの歴史が浮き上がる訳です。

森さんの人生は三度敗れていると言えます。
まず広島で被曝したこと。
次に、原子力の平和利用を監視しながら、自分の思うレベルで安全面が成熟しなかったこと。
さらに晩年、恩師の湯川博士が、広島に原爆が投下されることを事前に知っていたのでは? と疑うことです。

森さんが幸福な人生を生きたのかどうか僕には分かりませんが、人生の終末近くに、恩師に対して疑念を持つというのは相当つらかったと思います。

広島で被曝した森さんが、原子力の平和利用を監視する形であれ原発を後押ししたのは、分かりづらいと思う人もいるでしょう。
しかしぼくにはその心情がなんとなく分かる。
彼が憎んだのアメリカであって、原子力という「力」ではなかったのではないでしょうか?
むしろその「力」を平和のために使いこなせば、人類は幸福になると考えたのかもしれません。

また同時に、原子力が英米から「商売」として押し寄せてくるのを止めることはできないと思ったのでしょう。
止められなければレギュレーションをかければいい。そう考えたのではないでしょうか?

しかし実際にはレギュレーションをかけられず東海村の事故などがあったのは皆さんの知るところです。

森さんは3・11を前に永眠します。四度目の敗北は訪れなかった訳です。
「死は人が生み出した叡智」という言葉もありますが、永眠することで最大の敗北から逃れることになったのは、本当に重い人生だったと思います。
すべては湯川博士に背負わされたとも言えますので、恩師への疑念は二重にも三重にも森さんを苦しめたと思います。
だから筆者の前で泣いたのではないでしょうか。