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部落解放同盟「糾弾」史: メディアと差別表現 (ちくま新書) 小林 健治2015年07月01日 16時57分56秒

部落解放同盟「糾弾」史: メディアと差別表現
糾弾学習会の様子を細かく描写して頂ければ大変参考になったのですが、そういう部分はありませんでした。
本書全体が、「糾弾」というよりも「抗議」の歴史の事典あるいは目録のような構造になっており、勉強になりましたが、もう少し深く読んでみたいと思いました。

しかし、「差別語」の使用に関して無知な人はたくさんいるので、こうした本は多くの人に読まれた方がいいでしょう。

報道の自由がない国、韓国2015年07月02日 22時53分10秒

パク・クネ大統領の批判記事を書いて、産経新聞のソウル支局長が在宅起訴となり出国を停止されたのは記憶に新しいでしょう。
権力者の批判を書いてはいけないなんて、とんでもないことです。
言論の自由とか報道の自由というのは、ジャーナリストが権力を監視するために存在する権利です。
民主主義の背骨と言ってもいいでしょう。
韓国はこうした態度をとることによって、世界から低い評価を受け、国際的に名誉ある地位を取ることができません。
本当に恥ずかしいことです。

これは僕の私見ではありません。
「報道の自由度ランキング」というものがあります。
世界180の国と地域ををランク付けしたものです。
韓国はこの中で、なんと60位です。

そして我が祖国・日本。
日本の順位は61位です。
そりゃそうですよね。
自民党議員の態度を見ていれば深く肯くことができます。
気に入らない新聞は「つぶせ」という立場ですからね。

で、自民党が本気で反省しているかというと、全然そうではない。
麻生さんなどは、「応援のつもりかもしれないが、足を引っ張っている」と。
つまり、世論を敵に回すなと言っている訳ですね。
「自由」の意味、「民主主義」の意味が理解できないのですね。
「不自由非民主党」ですね。

イタリアなどでは、政治家という職業そのものが尊敬されていないと本で読んだことがあります。
日本はどうですか?
みなさんには、尊敬する政治家はいますか?

「葬送の仕事師たち」井上 理津子2015年07月04日 21時26分11秒

「葬送の仕事師たち」井上 理津子
読みながらいろいろなことを考えてしまった。

ノンフィクションの面白さ・難しさは、どこまで「自分」を書くかにあると思う。
井上さんの「最後の色街・飛田」では、それがすごくうまかった。
飛田の街をなかなか取材できない自分がノンフィクションになっていた。
今回の本も取材の難しさはあったと思いますが、葬送の仕事についている人はたくさんいますので、地道にやっていけば本になる訳です。
だから「最後の色街・飛田」とは、味わいのまったく異なった本になっていると感じます。
文体も少し違う印象があります。

そしてノンフィクションでも、科学論文でもそうですが、読み物が一番重要なのは、「目的」にある。
だけど、この本には、なぜ葬送の仕事師たちを取材したかが「目的」として書かれていない。
そういう意味で言うならば、後書きの「前半」を先頭に持ってくる方が良かったと思います。

で、さらに言うと、「葬送」という仕事を解説したかったのか、「葬送」にかかわる人の人間をノンフィクションとして描きたかったのか、それがよくわからなかった。

現在、ベストセラー中なので、葬送に興味のある人はたくさんいるのでしょう。
そういう点では、井上さんは読者の心をくみ取っているのかもしれない。
だから尚のこと、「前書き」を充実させて欲しかった。

「映画の奈落: 北陸代理戦争事件」伊藤彰彦2015年07月05日 21時56分24秒

「映画の奈落: 北陸代理戦争事件」伊藤彰彦
これはヘビー級のノンフィクションです。
結果としての本の面白さはもちろんですが、本を作る過程での映画シナリオの分析の仕方など、並大抵ではありません。

そもそも複雑な構成になっている。
だけど、本を書く目的が冒頭に「三つの挑戦」として列記されているために、ものすごく理解しやすい。
「やくざ映画の作り方」と「現実のやくざの抗争」と「映画界とやくざの相互関係」を描いているため、重層的で奥行きのある作品に仕上がっているのでしょう。
脚本家・高田さんの晩年も迫力十分でした。

こういうノンフィクションこそベストセラーになって欲しいし、文学賞などを獲って高く評価されて欲しいですね。

OS X 10.10.4 で解決!2015年07月06日 21時59分30秒

ネット接続が頻繁に途切れて困り果てていましたが、どうやら解決しました。
10.10.4 をインストールしてからまったく問題なくネットにつながります。
と言うことはぼくと同じ人が世界中に山ほどいたのではないでしょうか?
しかしその割にはアップルの人は、そういう認識ではなかったようです。
ま、解決したからいいでしょう!

アップル・ミュージック!2015年07月07日 21時20分43秒

アップル・ミュージックの正体がわかってきた気がする。

音楽はDLではなく、ストリーミング。
これは、言ってみればラジオを聴いているような状態だろう。違うかな?

しかし音楽を入手すると、これまでCDを取り込んで保存した「マイミュージック」に追加される。シームレスなんですね。
そして、その画面の横には、オススメの音楽(アルバムなど)が並ぶ。アマゾンみたいだ。で、そうしたオススメをがんがん聴くことができる。手元に置いておいてもいい。
DLして保存するという概念が古いのかも。
3カ月は無料。迷っている人は試すといいでしょう。

「牛と土 福島、3.11その後。」眞並 恭介2015年07月08日 11時39分31秒

「牛と土 福島、3.11その後。」眞並 恭介
大変な力作だと思います。
原発災害をどう描くか、ジャーナリストにとっては腕が試されると思いますが、「牛と土」にフォーカスを当てるのは新機軸です。
骨太の作品に仕上がっていますね。

ノンフィクションを書くにあたって、取材対象を「三人称」で書くか、「私とインタビューに答えるあなた」で書くかという問題があります。
この本では適宜「私」が登場しますが、「三人称」の場面が多数でてきます。
語り口をどうするか非常に難しい問題で、もちろん正解はないのですが、本書に関して言えば作者の一人語りの方がより良かったのではないかと考えます。
もちろん、そうではないという意見もたくさんあると思いますが、作者が取材対象とどこまで自己同一化して、警戒区域に入っていったか、もっと表現してもよかったと感じます。

この本も高い評価を得るのではないでしょうか?

マネー・ジャングル2015年07月10日 22時04分48秒

マネー・ジャングル
く〜、痺れる〜。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書) 坂井 豊貴2015年07月11日 22時56分56秒

多数決を疑う
ちょっと難しい本でした。
書き方が悪いという意味ではなく、内容が難解でした。
ですが、主張は大変よく理解できます。

「私は正しい。なぜならば、国民に選ばれた最高権力者だからだ」みたいな総理大臣の台詞は、ほとんど漫画だということがとてもよくわかります。

カレルの心臓からiPS細胞まで(1)2015年07月19日 16時05分18秒

1912年(大正元年)、外科医カレルは臓器移植を夢見ていた。
人の体から取り出した臓器を、人工的に生かすことができれば移植に役立つと考えたのであった。
そこでカレルは予備実験として、ニワトリの心臓から取り出した細胞をシャーレの中で培養することを開始した。
細胞は増殖し生き続けた。細胞がシャーレを埋め尽くすと、カレルは細胞をシャーレから剥がし、1/2の濃度にして別のシャーレに植え継いだ。こうしているうちにカレルは亡くなり、細胞は生き残った。
カレルの弟子たちは、なおも細胞を生かし続けた。しかし1946年(昭和21年)、細菌感染が起こり、「カレルの心臓」はついに永遠の命を手放した。
細菌の感染さえなければ細胞は生き続けたであろうと世界中の科学者たちは考えた。だからこの当時、生き物に寿命はあっても、シャーレの中の細胞に寿命はないと考えられていた。
ところが、誰も「永遠に生きる細胞」の追試に成功しなかった。

1951年(昭和26年)、メリーランド州ボルティモアの黒人女性ヘンリエッタ・ラックスは31年の生涯を終えた。彼女の命を奪ったのは子宮がんだった。科学者たちは、がん細胞をシャーレの中で培養し、細胞にHeLaという名前を付けた。HeLaは凄まじい勢いで分裂増殖した。世界中の科学者に供与され、様々な方法で科学利用された。
ポリオワクチンの開発にも利用されたし、スペースシャトルに乗って宇宙にも行った。

1961年(昭和36年)、ヘイフリックはカレルの心臓の謎を解こうと考えた。彼はヒト胎児の細胞をシャーレの中で培養した。増えた細胞を1/2に希釈し、別のシャーレに植え継ぎ、培養をくり返した。ところ何度やっても細胞は50回分裂すると、それ以上は細胞分裂が起こらないことを知った。
生物の種によって細胞分裂の回数は一定していた。そしてその回数は、その生物の寿命の長さに一致していた。
寿命とは、細胞分裂の数である。彼の考え方は「ヘイフリックの限界」と呼ばれた。

ではなぜ、カレルの心臓は34年間も生き続けたのであろうか?
それには「秘伝」があった。培養には、新鮮なニワトリ胚抽出液を足してやる必要があったのだ。そしてその継ぎ足された抽出液の中に、新しい細胞が混ざっていたのである。

ヘイフリックの限界説は科学界から好意的には受け入れられなかった。現にHeLa細胞は無限に増殖しているからだ。
ポリオワクチンを作成できるのは素晴らしいことではあるが、癌細胞から作ったワクチンを人間に注射することには問題があった。

1962年(昭和37年)。千葉大の安村は、SV40というサルに腫瘍を形成するウイルスの研究をしていた。SV40の実験をするためにはその都度アフリカミドリサルの腎臓が必要だった。つまり1回の実験ごとにサルの命が失われた。安村は考えた。シャーレの中で永遠に生きるアフリカミドリサルの腎臓細胞を手に入れられないかと。
安村はひたすら細胞を培養した。しかし何度やっても細胞は途中で増殖が止まった。しかし彼は諦めなかった。安村は無菌箱にラテン語で「雨垂れ岩をも穿つ」と書き付け、培養を続けた。
そして18回目のチャレンジである変化が起きた。植え継ぎが30回を過ぎた頃から細胞の増殖は生き生きとしてきた。瑞々しく輝いて見えた。これまでとは何もが違っていた。永遠の命を獲得した細胞を手に入れたと確信した。最初に培養を始めてから3年が経っていた。
エスペラントで、緑はVERDA、腎臓はRENOという。そこで、細胞にVERO(ヴェーロ)を名付けた。またVEROには「真理」という意味もあった。

Veroにはさまざまなウイルスが感染する。その結果、安全にワクチンを作ることができる。Veroによって毎年世界中に6000万人分のポリオワクチンが供給されている。日本ではポリオ以外にも、日本脳炎ワクチンが製造されている。
SARSウイルスもMERSウイルスも、ワクチンがVeroに感染したために分離同定が可能だったのである。

では、Veroはなぜヘイフリックの限界を超えて生き続けているのであろうか? HeLaと何が違うのであろうか?