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世界がなくなればいい2015年04月21日 15時42分57秒

私たちが存在している、場としての世界。
これは本当に存在しているのでしょうか?
あなたは、世界があると認識しています。
しかし、あなたの命が果てた後、世界は存在していると言えますか?
あなたは世界を認識できないし、世界は実存しないかもしれない。
ところが、「私」から見ると、そうではない。
あなたが世を去っても、世界は消えないと「私」は知っている。
日本では毎年100万人以上の生命が誕生し、それ以上の命が消えていく。
だが、「私」には世界は不動である。
つまり、世界とは、個人の所有物と言える。

私が治療をしていたがんの少女に、病気が再発した。
病気はものすごい勢いで進展し、私には、この子の命が果てるのは時間の問題だと悟った。
そこで、そのことを少女の母親に説明した。
彼女は泣き崩れ、「世界がなくなればいい」と言った。

彼女の言う世界とはなんだろうか?
最愛の娘を失えば、自分は生きていても意味がないとも言い、同時に、その少女の兄の育児を考えれば、自分は死んではいけないとも言った。
もし、世界というものが一瞬で消滅すれば、少女のことも、少女の兄のことも、夫のことも、自分のことも何も考える必要がなくなる。
だから世界そのものが消えれば良いと思ったのかもしれない。

だが、それはあり得ない。
そんなことは誰でも知っている。
自分の娘が死に向かっている時に、母親はそんなあり得ないことを口走るだろうか?
いや、それはないだろう。
彼女の言いたかった「世界」とは、少女が包含している「運命」とか「定め」とか「人生」そのものではないだろうか?

自分の娘が死ぬ。
こんな理不尽なことがこの世にあるであろうか?
しかし、娘はそういう人生に巻き込まれている。
そこからは逃げられない。
母親は、娘の人生に絶望し、そんな人生ならば、そんな世界ならば、存在しないほうがいいと考える。
だから、母親が言っている世界とは、人生そのものだ。

しかし、人生は娘に付いてくる。
それだけ人生を忌み嫌い、絶望し、嫌悪しても、人生はあきらめない。
人生はあなたに絶望しないのだ。

死を包含した宿運という名の人生が、その娘にまとわりついてくるならば、ぼくが、座して死を待つ必要はないと考えた。
いや、それどころか「死」なんてものは存在しなくて、残った時間の人生に、何を作ることができるかが、生きる価値と考えた。

ぼくはその子を在宅医療に持ち込み、自宅で痛み止めをつかい、点滴をし、旅行を楽しんでもらった。
彼女たち母子は人生を作ったのである。
こうして人生は完結した。世界はなくならないし、なくす必要もない。
自分で作っていけばいい。