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禅僧ティク・ナット・ハン 「死は存在しない」2015年04月18日 14時26分47秒

禅僧ティク・ナット・ハン 
禅僧ティク・ナット・ハン 第2回の放送を見ました。
今回の番組は3つのパートからできていました。
前半は、マインドフルネス=いま、ここに気づくこと。

悲しみも、苦しみも、怒りも、否定する必要はない。
誰にでも孤独や悩みが訪れる。
そんなときに、自分自身が存在することを意識する。
いま、ここに自分があるということに気づけばいい。そうすれば他者も存在するということに自然と気づき、私という存在は突き放された孤独なものでないと知る。

中盤は、師に影響を受けたいろいろな人が登場していました。
彼ら・彼女らは、ハン師によって、新しい気づきの中にいる。
何かを知ったとき、人は幸せを感じることができるでしょう。
そういう表情をしていました。
だけどさすがに、ハン師が見せる独特な「はにかむ」ような笑顔、ちょっとかすれた声で分かりやすい単語を駆使した音楽の旋律のような英語と比べると、ちょっと勝てないかなと感じます。
ハン師は、本当に存在そのものが慈愛に満ちていますね。

終盤は、「死は存在しない」ということ。
ここの部分は、従来からのぼくの主張とまったく同じです。
拙著「小児がん外科医」で、がんで死んでいく何人もの子どもの死を描きました。
研修医の頃のぼくは、「死」は痛みであり、恐怖であり、暗闇であり、悲しみであると思っていました。
そして医師にとって、「子どもの死」は敗北だと思っていた訳です。

だけどたくさんの子どもの死を見る中で、それは間違ったイメージと知りました。
ぼくは「死後の世界」が存在するとか、「霊魂」が存在すると主張している訳ではありません。
ある一点で、何かがブツッと断絶してしまう「死」は存在しない。
子どもの肉体が見えなくなっても、家族の形は決して崩れない。
死に立ち向かった家族は、子どもの死のあとも、その子を含めて家族としての歩みを続けていくのです。

決して、恐怖でもなければ敗北でもありません。
ぼくは死を迎えた子どもの母親に、「死は存在しません」と言い切ったことがあります。

中央公論新社の「小児がん外科医」は大して売れていませんが、このたび、愛媛県の高校生の道徳の授業のサブテキストに、拙著の一部が採録されました。
「死は存在しない」というタイトルの一章です。

ハン師の思想とぼくの雑感を比べるのもおこがましい話ですが、何十人もの子どもの死を見た経験から得た結論が「死は存在しない」ということです。

素晴らしい番組でした。

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