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こころの時代 禅僧ティク・ナット・ハン2015年04月05日 15時11分44秒

こころの時代 禅僧ティク・ナット・ハン
NHK Eテレで、「こころの時代 禅僧ティク・ナット・ハン」を視聴しました。
テーマは怒りの炎を抱きしめて、怒りを変容させることです。
ハン師は、若き日にベトナム戦争で多くの怒り・悲しみ・嘆きを体験しました。
そして自分の中にある怒りを見詰め、それを抱きとめるように「面倒」を見て、静かにさせました。
差別や憎悪もたくさん経験してきましたが、ハン師は、苦しみとは闘いません。
そういった自分の中の負の感情を、理解して慈悲の高さまで持ち上げるのです。

ですから、怒りに燃えた敵がいたとしても、その敵に対して怒りで対決することはありません。
怒りに燃えた敵は哀れな人なので、その敵を慈悲で包んでしまうのです。

ハン師がキング牧師と共鳴したというのはとてもよく理解できます。
が、しかしここでもハン師は、「戦友」であるキング牧師を暗殺という悲劇で失うという苦しみを味わうことになります。

人はどうしたら怒りの炎を抱きしめることができるのでしょうか?
それにはまず、自分が自分という一つの存在であるということを自覚することから始まります。
一つ、息を吸って、瞑想し、自分の存在を知る。
自分を知れば、他者を知ることができる。
自分の持っている庭をきれいにすることが可能ならば、そこで初めて他人の庭をきれいにすることができるようになる。
そして、自分は孤立した存在なのではなく、人によって生かされている相互共存の中にいると知ります。

自分が人と共にある。
そうであれば、怒りに対して怒りで対抗しても何の意味もありません。

ベトナムで5人の子どもを殺したことに苦悩するアメリカ人帰還兵。彼に対して、ベトナム人が糾弾しても何も変わらない。
しかしもし、明日から毎日、子どもの命を5人、10人、15人と救いなさいとベトナム人が言ったらどうでしょうか?
世界には一粒の薬が無くて命を失っていく子どもが無数にいます。
そのベトナム帰還兵のすべきことは、ベトナム人に赦しを乞うことではなく、子どもの命を救うという「実践」だったのです。

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さすがNHKですね。素晴らしい番組でした。
ぼくは若い日にマルコムXから強い影響を受けました。
マルコムXの教えは「いかなる手段をとろうとも」ですから、ハン師とはかなり異なっているかもしれません。
ですが、ハン師・キング牧師・マルコムXが最終的に夢見た未来社会はとても似ていたのだと思います。
なお、ぼくは修行が全然足りなくて、世の中に不条理な差別があると、やはり怒りが湧き上がってきてしまいます。
しかし、この番組をきっかけに怒りとはなんだろうと深く考えてみたいです。

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