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かつて兵庫県立こども病院は何をしたのか?「生命倫理の源流――戦後日本社会とバイオエシックス」香川 知晶, 小松 美彦2015年03月22日 10時25分02秒

かつて兵庫県立こども病院は何をしたのか?
資料として貴重な部分と、読み物として面白い部分がいろいろと詰まっています。
見逃せないのは、第4章です。

兵庫県で1966年に始まった「不幸な子どもの生まれない運動」。
不幸な子どもの例としていくつかのケースが並べられていますが、もっとも明確に書かれているのが、障害児です。
障害児は不幸な子どもである。
従って障害児は生まれない方が良い。
従って羊水検査をして、染色体分析を行い、異常があれば堕胎しようという運動でした。

実際、1972年に兵庫県からは羊水検査に対する補助金が妊婦に支給されるようになります。

この運動が兵庫県内で広がりを見せる過程で、中心的な役割を担ったのが、兵庫県立こども病院でした。巡回相談車が活動し、普及啓発に関する院内指導教室も開設されました。

この運動は、兵庫県から外部に広がり、他の10道府県市のスローガンになっていきます。

この当時は、兵庫県衛生部長は「不幸な条件を持って生まれた人々は、本人・家族の苦悩、社会の負担ははかり知れない。 異常児の生まれない施策もやるべき」と発言しています。
この部長は、その後、神奈川県立こども医療センターに転出したそうです。

ちなみに、昨秋の日本小児外科学会秋季シンポで、日本を代表する小児外科医で兵庫県立こども病院出身の医者は、「障害児が生まれると、夫婦は離婚し、きょうだいはイジメに遭い、家庭は崩壊する」と言い切っていました。
この医者のルーツには「不幸な子どもの生まれない運動」があるのかもしれません。推測ですが。

現在、兵庫県立こども病院で働いている職員には何の罪も無いと言えるでしょう。
しかし「過去に目を閉ざすものは、現在に対しても盲目になる」のですから、自分が働いている病院の歴史くらいは知っておいてほうがいいでしょう。

さて、この運動はどうなったのでしょうか?
古典的な優性思想、障害児差別思想をもったこの運動は頓挫します。
自浄作用が働いた訳ではありません。
脳性マヒ者協会「青い芝の会」によって、徹底的に抗議・批判・突き上げをくらい、行政はこの考えを引っ込めざるを得なくなったのです。

お医者さんは、こういう歴史を教養として知っておくべきです。