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尊厳死とは何か?2015年03月06日 10時24分33秒

機械の力によって無理矢理、延命されて、苦痛が増すような人生の終末はやはり悲しいでしょう。
尊厳を持って、自然に、苦痛無く、平穏に人生の幕を閉じたいと考えるのは、むしろ普通のことでしょう。

では、人生の終末とはいったい何でしょうか?
病気によって、その定義は様々でしょう。
小児外科の世界で言えば、それはがんの末期であり、胆道閉鎖の末期(肝臓移植しないケースに限ります)でしょう。
1〜2年の闘病を経て、何度も手術を繰り返し、小児がんであれば、命がけの抗がん剤投与を繰り返し、それでも病気が再発したり、胆道閉鎖では末期肝不全になれば、どの医者が診ても、どの家族が見ても、その子は助からないと悟るでしょう。

そうした時に、ぼくらは数種類の痛み止めを使います。
とにかく痛みを取る。
家族と一緒にいられる時間を増やす。
データを得るための検査などは一切しない。
もしやモルヒネの作用で若干呼吸が弱くなるかもしれないと思っても、痛みを取り除くことを優先する。

最期は、ご両親に抱っこされた状態で天国に逝ってもらう。
そうしたことをぼくは数え切れないほど行ってきました。

しかしこれを書面による生前意志によって、延命処置を開始しないとか、処置をやめるとか、、、それはビジネスであって医療ではありません。
そうした法律を作るのは、医師に罪を問わない方便にしかすぎません。
尊厳死にあたって医師が法律に守られるなんて、要は、医師が本来の意味での尊厳死の過程を踏んでいないことを免罪する意味しかありません。

そして絶対に間違ってはいけないのは、人生の終末と、いわゆる「植物状態」とか「深昏睡」とかとは何の関係も無いということです。
意志の疎通をはかれない重症の患者さんを、それだけの理由で、終末期にあると考えるのは大きな間違いです。
ぼくが上記した小児がんの末期とか、胆道閉鎖の末期と言うのは、「あと1日くらい」の命を言っている訳です(もちろん、その1ヶ月前くらいから、あらゆる痛み止めを使う)。

人というのは、深い昏睡にあっても、植物状態と言われるように呼吸だけをしていても、生命が宿っていれば、そこに尊厳があります。
欧米に見られるような、医師による自殺幇助のようなことはあってはならないし、それは日本の文化・精神風土と相容れません。

以前、「報道ステーション」というニュース番組を見ていたら、自民党の有力議員が、高齢者医療費をどう抑制するかと聞かれて「自分はリビングウイルを書く=尊厳死を選ぶ」と発言していました。
この男の父親は差別主義者として有名な政治家ですが、親が親なら、子どもも、医療費上昇を解決するために尊厳死を持ち出すなど、普通の神経を持っているのか大変疑問に感じます。

いずれにしても、尊厳死を法律で規定することは犯罪的な行為と言えます。

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