マンガ1枚でテロとの戦争 ― 2015年01月14日 16時26分26秒
フクシマ原発事故で相撲が五輪種目に!
こんな台詞と共に、奇形の力士を描いた風刺画。
なぜこういう絵を公表しなければいけないのか理解に苦しみますが、とにかくフランスには「風刺」という文化がある。
本来、風刺というのは権力批判であるとぼくは思っていたのですが、筒井康隆さんの「無人警察」問題の時も、てんかん患者さんへの差別ではないかという指摘に対して、筒井さんは「風刺」であると開き直っていました。
どうもフランスの風刺とは、タブーの度合いが強いものを茶化す程、高く評価されるような風潮があるように思えます。
だから権力批判は関係ないようです。
だったらそんなことは国内でやって欲しい。
原発事故で塗炭の苦しみを味わっている人を傷つけて何が面白いのか。
預言者ムハンマドを笑って何が嬉しいのか。
他国の人間の心の中に土足で入ってきて欲しくない。
フランスの首相は「テロとの戦争」を宣言しました。
戦争とは、お互いに殺し合いをすること。
マンガ1枚で戦争ですか? 戦争を開始するほど大事なことがマンガに描かれていたのでしょうか?
「侵してはいけないことがあるから自由が尊重される」のだと、昨日、Facebook 上で友人からコメントをもらいました。
本当にその通りだと思います。
今日の朝日新聞には「風刺か侮辱か」という特集記事がありました。
テロに走らなくても、全世界13億人のイスラム教徒にとって、あの風刺画は「侮辱」でしょう。
フランス人記者は「犯人はユーモアセンスを失っていた」とコメントしていましたが、どうやら彼らは他人を侮辱しても、そのことに気づかないようです。
なお、このフクシマの風刺画を描いた画家は、今回の襲撃事件で殺害されています。
殺されるリスクを十分に承知していながら、宗教風刺画を描く心理はやはり理解しにくい。
彼は殺されるべきじゃなかったし、殺人者を挑発すべきじゃなかった。
今後、欧州では宗教対立や移民排斥が益々強まると思いますが、西欧中心主義・キリスト教中心主義的な傲慢さが、これらの風刺画に透けて見えるのはぼくだけじゃないと思います。
まったく不毛な「テロとの戦争」です。
こんな台詞と共に、奇形の力士を描いた風刺画。
なぜこういう絵を公表しなければいけないのか理解に苦しみますが、とにかくフランスには「風刺」という文化がある。
本来、風刺というのは権力批判であるとぼくは思っていたのですが、筒井康隆さんの「無人警察」問題の時も、てんかん患者さんへの差別ではないかという指摘に対して、筒井さんは「風刺」であると開き直っていました。
どうもフランスの風刺とは、タブーの度合いが強いものを茶化す程、高く評価されるような風潮があるように思えます。
だから権力批判は関係ないようです。
だったらそんなことは国内でやって欲しい。
原発事故で塗炭の苦しみを味わっている人を傷つけて何が面白いのか。
預言者ムハンマドを笑って何が嬉しいのか。
他国の人間の心の中に土足で入ってきて欲しくない。
フランスの首相は「テロとの戦争」を宣言しました。
戦争とは、お互いに殺し合いをすること。
マンガ1枚で戦争ですか? 戦争を開始するほど大事なことがマンガに描かれていたのでしょうか?
「侵してはいけないことがあるから自由が尊重される」のだと、昨日、Facebook 上で友人からコメントをもらいました。
本当にその通りだと思います。
今日の朝日新聞には「風刺か侮辱か」という特集記事がありました。
テロに走らなくても、全世界13億人のイスラム教徒にとって、あの風刺画は「侮辱」でしょう。
フランス人記者は「犯人はユーモアセンスを失っていた」とコメントしていましたが、どうやら彼らは他人を侮辱しても、そのことに気づかないようです。
なお、このフクシマの風刺画を描いた画家は、今回の襲撃事件で殺害されています。
殺されるリスクを十分に承知していながら、宗教風刺画を描く心理はやはり理解しにくい。
彼は殺されるべきじゃなかったし、殺人者を挑発すべきじゃなかった。
今後、欧州では宗教対立や移民排斥が益々強まると思いますが、西欧中心主義・キリスト教中心主義的な傲慢さが、これらの風刺画に透けて見えるのはぼくだけじゃないと思います。
まったく不毛な「テロとの戦争」です。
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