「はだかのいのち―障害児のこころ、人間のこころ」 高谷 清 ― 2015年01月11日 19時28分56秒
さらにこういう本も読みました。
大昔に、岩波新書の「重い障害を生きるということ」を読んだときは、理念としては理解できても実感としては分からないことばかりでした。
ですがぼくも「運命の子 トリソミー」によって、この3年間みっちり障害児家族に鍛えられたので、理念は実感となりました。
先生の仰ることが、大変共感を持って理解できます。
「はだかのいのち」というのは、命に付加価値などはないという意味です。
つまりぼくが言っている、「生きることに意味はない」「実存(生きること)は本質(生きる意味)に先立つ」と同じことですね。
大昔に、岩波新書の「重い障害を生きるということ」を読んだときは、理念としては理解できても実感としては分からないことばかりでした。
ですがぼくも「運命の子 トリソミー」によって、この3年間みっちり障害児家族に鍛えられたので、理念は実感となりました。
先生の仰ることが、大変共感を持って理解できます。
「はだかのいのち」というのは、命に付加価値などはないという意味です。
つまりぼくが言っている、「生きることに意味はない」「実存(生きること)は本質(生きる意味)に先立つ」と同じことですね。
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