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死ぬことの意味2015年01月02日 22時00分32秒

昨年末に「死は存在しない」と書きました。
そのことはまったくその通りで、信念を持ってそう言えます。
それとはちょっと違う視点で比喩的な意味で、死ぬことの意味を書きたいと思います。

20年前の千葉大小児外科教室は研究費の獲得に四苦八苦していました。
それまで大きな研究業績が無かったからです。
ぼくは1990年に大学院に進学し、分子ウイルス学教室の清水教授・白澤先生の指導を仰ぎました。
小児外科の教育というのは、あって無いようなものでしたから、清水先生・白澤先生の丁寧で合理的で才能を引き出すような教育には本当に驚きました。
お陰様でぼくは順調に世界レベルの研究業績を連発することができました。
その研究成果を引っさげて、小児外科教室も科学研究費をがんがん獲得できるようになりました(今はどうなっているか知りませんが)。

つまり地方の一教室に過ぎなかった千葉大小児外科が日本を代表する小児外科教室になることができたのは、清水教授・白澤先生のお陰と言えるでしょう。

ぼくは大学という組織に愛着がありました。
大学の機能とは診療・研究・教育の三つです。
そしてこの三つを同時にできる人間が大学人としてふさわしい訳です。
ぼくがふさわしかったかどうか、自分では断定的に言いませんが、少なくともそういうことが好きでした。
しかし、病気に倒れて大変不本意に大学を去らざるを得ませんでした。
その時、関西のある大学病院の小児科の教授が「松永君は、教授にはならなかったけど、すでに、そこらへんの教授3人分くらいの仕事はしたね」と誉めてくれました。

さて、ぼくは命は取り留めましたが、社会的にいったん死んだ訳です。
あの辛さはなかなか筆舌に尽くしがたいものあります。
だけど、死んでよかった思えることがあります。

それはぼくが社会的に死んだことによって後輩がグーンと急成長したことです。
次の人に新しい席を譲る、それは人が発明した叡智ではないでしょうか?
スティーブ・ジョブスも膵臓がんになった後に、スタンフォード大学の卒業式でそのようなことをスピーチしていた記憶があります。

翻って考えると、ぼくの先輩(上司)の多くは、そういう発想が決定的に欠けていたように思えます。
自分の場所を譲って若い人が育つというのは実に素晴らしいことです。
だけど彼らにはそういうことを理解する能力がなかったように感じます。
ま、それが人としての限界かもしれません。

いずれにしても、現在、千葉大学病院にも千葉県こども病院にも大変優秀な小児外科医がいます。
彼らが育った理由の一つはぼくが死んだからです。
そう思えば、ぼくが大学を去ったことに対して、何かポジティブな感慨を抱くことができます。

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