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「多様」であることは美しい2014年12月29日 16時00分07秒

先日練馬で講演した時に、「多様性」という言葉をキーワードにしました。
語り足りない部分もあったので、ちょっと補足しましょう。

「多様性」という言葉が現在世間でどういう風に「幅」をきかせているか、ぼくは知りません。
もしかしたら風潮としては流行しているのかもしれませんが、もちろんぼくはそうした状況と関係なくこの言葉を使っています。

世の中って多様だなと意識したのは小学生の頃です。いや、正確に言うと世間から多様性が消えて初めて気づいたと言えるでしょう。
昭和40年代の東京下町では、塾や習い事に行く子どもなどはいなくて、学校が終われば近所の子どもたちが10数名集まって、完全に日が暮れるまで遊んだものです。
「缶蹴り」とか「馬跳び」とか「サイショバック」とか。
この遊び仲間にYちゃんという子がいました。
年齢はぼくより3−4歳上。
軽度の難聴があった。
そして発語が不明瞭だった。
難聴があればうまく喋れないと、当時のぼくにも理解できましたが、Yちゃんの場合は、その点を際し引いても若干、知的障害があったようにぼくには見えました。
けれどもYちゃんはぼくらにとっては仲間であり、決していじめられたり、さげすまれたりすることはありませんでした。

学校にはH君がいました。
いつもニコニコして、すこし天然パーマで。
彼は明らかに軽度の知的障害でした。
級友から、時にからかわれることもありましたが、そういう時は彼は反撃しますので、最終的にはいじめられるところまではいかず、ある種の人気があって、いつも人の輪に中にいました。

いつしか、「裏路地」とか「地域コミュニティー」とかは消え、障害児はどこにも見当たらなくなってしまいました。

1979年は養護学校が義務化された年ですが、この年にぼくは、今でも忘れられない強烈なNHKドラマを見ています。
城山三郎原作の「素直な戦士たち」という作品です。
東大合格を悲願とした小学生の強烈な受験戦争がテーマでした。

こうした受験戦争は同じ年に「共通一次試験」という形で具現化します。
全国100数十万人の子どもたちが、一つの尺度で評価されるようになった訳ですね。
その後、マイナーチェンジはあったものの、日本人は「単一」であることを好み、「多様性」を大事にしない道を歩んでいます。

日本は「単一民族国家」と発言して大臣を辞めた政治家もいました。
もちろん、北海道や東北地方にはアイヌ民族が存在します。
沖縄の人たちにも特有な文化があります。
在日朝鮮韓国人は60万人いますが、これは、日本がかつて朝鮮半島を植民地支配したための結果であり、戦後70年が経とうしている今、彼ら彼女らに帰る国はなく、日本が故郷ということになります。

障害をもっている人。そうでない人。
民族が同じ人。そうでない人。
学歴が高い人。そうでない人。
人間性が豊かな人。そうでない人。
多様な社会でしか、私たちは何かを学ぶということはできません。
日本人1億人が全部同じ人間だったら、日本民族は何も学ぶことができず、民族として衰退し、滅亡してしまうでしょう。

だから「多様である」ことは尊いし、美しいと思います。
「異なっていることこそ正常」(ヴァイツゼッカー大統領の言葉)なのです。

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