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「海のいる風景―重症心身障害のある子どもの親であるということ」児玉 真美2014年01月16日 23時05分40秒

海のいる風景―重症心身障害のある子どもの親であるということ
タイトルの「海」というのは、重度心身障害児のお子さんの名前です。
本が書かれた当時は「海ちゃん」でしたが、今では「海さん」。

一昨年、「運命の子 トリソミー」を取材するにあたって読みましたが、今回、再読しました。
取材をしたことによって、児玉さんの書いた内容が改めて「骨身に沁みて」理解できました。

大変重要なことがいくつも書かれています。
まずひとつは、こういった子たちは、「医療の中に生活があるのではなく、生活の中に医療がある、もしくはあるべきだ」というメッセージです。
そしてさらに、「療育」とは何かを問いかけてきます。
「療育」の専門家などは実はどこにもいない。
「医者」とか「看護師」とか「コメディカル」といった専門家がいるだけ。
そして重度心身障害児だって「障害」の専門家。障害児の親は「障害児を抱えた親の専門家」。
だから、「療育のチーム」に障害児と保護者が入っていなくてはならないのですね。
こういう発想はちょっと医療サイドには欠けていると思います。

ぼくは「運命の子 トリソミー」を取材してそれを痛感した。
だって、ぼくは「保護者」を前にして頭を垂れて道を説かれていた訳ですから。

本書と同じ「生活書院」には、「母よ!殺すな」という名著がありますが、僕は同時に、「母を、責めるな!」と言いたくなりますね。
重度心身障害児を持つ親の苦労は、本多勝一さんも書いているように、筆舌に尽くしがたいものがあります。
社会(世間・親戚)が母を責めるから、母は殺したくなるのだと思います。
殺される障害児はたまったものではありませんから、社会(世間・親戚)が成熟していかないといけません。

ぼくは次の作品として「障害胎児・新生児の生命倫理」について真正面から書いてみようと思っています。
ただ、専門書のようにはせずに、自分の実体験やインタビューで作品を構築したい。
だけど、その時に誰かを攻撃するような作りにだけはしたくないと、思っています。

残念ながら世の中には、障害児を見捨てて出奔してしまう母親もいる。そういう人を何人も僕は見てきた。
だけど、彼女達にも言い分があると思うのですね。
さすがにそういう声をインタビューすることは不可能ですが、僕が偉そうに断罪することはしないつもりです。

いずれにしても「海のいる風景」、大変な名著です。
「生活書院」さん、がんがん売り込んでベストセラーにしてください。