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砂の女 (新潮文庫) 安部 公房2013年09月11日 21時19分52秒

砂の女
安部公房先生はノーベル文学賞候補にもなった作家で、日本のみならず海外でもファンが多いようです。
現代ではあまり読まれていないかもしれませんが、僕を含めて僕より上の世代の読書好きの人はけっこう読んでいるのではないでしょうか?
その安部公房の代表作が「砂の女」です。

寓話みたいな作品で、この本で描かれているのは主人公の「不条理」でしょう。
しかし寓話は寓話として終了し、不条理を突破するヒントみたいなものはありません。
話としてはものすごく面白くて一気に読んでしまうのですが、不条理の先にあるものを表現しないというのは、文学としてどうなんでしょうか?

ま、僕は純文学に詳しい訳でもなければ一家言ある訳でもないので、面白ければ「良い」という立場ですが、文学の使命とは何かと戸惑ったりします。

労働(この場合は砂を掻き出す)を自己否定と捉え、なおかつ、そのエネルギーを真の労働価値と定義する台詞が、本書の全体を表現しています。

本来であれば、人間は労働によってのみでしか自己実現できない(健常者の話です)訳ですが、この主人公は「労働力の再生産費」すら得られない。搾取されるているどころか、生存のために労働している訳ですね。
ところが最終の場面になると、自己実現を放棄してしまう。
つまりこのままで「良い」となる。
不条理に対する人間の不可思議な反応。
そういうことを安部公房は言いたかったのでしょうか。