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起き抜けに大江健三郎先生2013年08月29日 22時16分57秒

起床してすぐに書斎に入り、「自立と共生を語る」という本を再読しました。

「親が我が子の障害を受容する」というのは実は大変普遍性のあるテーマであって、それは、私たち自身も大きな怪我や病気で障害者になる可能性があるからです。
リハビリテーション医学というのは一見地味で、外科の世界の「キッタ、ハッタ」と比べると医学生などにはなかなか人気はないかもしれません。
ですがよく考えてみれば、喪失した人間らしさを取り戻していく過程がリハビリなのですから、これくらい希望に満ちた医療はないのではと思います。

ただリハビリを行っても100%元に戻るということはあまりありません。
何かは失うことになるかもしれない。
そういう時、人は、失ったものを受容するのでしょう。

受容とは諦めではなく、もっと積極的なものです。
失うことと劣ることは同義でないと、価値を変換して、負い目を乗り越えていく作業です。
自分自身を認めて、承認するプロセスとも言えます。

今、上に書いたことを本で人に伝えるには、3つの方法があります。
1 解説書・評論を書いて説明する
2 ノンフィクションによって事実を示す
3 (純)文学として表現する

大江先生は文学者として3の方法を取っているわけですが、1が最も分かりやすいとも言えます。
そう、人は説明を求めますからね。
しかし文学には文学の役割があって、2のノンフィクションではまとめきれない「散らばった事実」を「統合」していくという役割があります。「5W1H」を自由に入れ替えることもできるし。
また、太古より人類が、「音楽」や「絵」を必要としたように、「物語り」も人間には必要なんですね。

ぼくには文学作品を書くような才能はありませんから、事実を集めて記録していきたいと考えています。
ただ、集めると言っても、小児がんや重度心身障害児の「生と死」について、家族から話を聞くことは、誰にでもできることではありません。
ジャーナリストだから、文学者だから、医者だから、という理由で家族が何でも語ってくれるなんてことはありません。
こういう書き方をするとちょっと傲慢に受け取られるかもしれませんが、聞く人間(=僕ですね)の人間性が試される訳です。

もちろん僕は、外科医という技術屋として生きてきましたから教養が浅い。
文学も音楽も美術も、好きではあるけれど、何かを知っている訳ではない。
患者さんから何かを学ぶという発想が、若い頃には皆無で、上司たちの姿を見て、ただそれを真似ていたんです。

だけど今から15年前くらいから、真剣に、そして強烈に「生と死」を考え始めました。
患者さんにおそわったんですね。
そして自分の小児外科医としてのキャリアを振り返ってみれば、100人くらいの子どもの死を看取っているんです。
そういうものを背負っている。
これは否定できない。

教養のある人、立派な人とは、生涯言われないかも知れませんが、自分のこの経験は生涯消えることはありません。
「生と死」のぎりぎりのところにいる患者のご家族に僕がお話を伺えば、ご家族には、僕の肩に100人の子どもの死が見えるはずです。
だから、ご家族はお話をしてくれるのだと思うのです。

ま、単なる思い込みかもしれませんが。