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医療は回る2013年06月25日 22時07分11秒

現代の医学は、Evidence Based Medicine (証拠に基づいた医療)が正しいとされています。
ベテランの医者の「勘」とか「経験」とかには重きを置かず、ある科で昔から連綿と続けられている医療の「風習」みたいなものは信用ならぬということです。

確かにそういった科学的な思考は極めて大事だと思います。

元々、医療の始まりは、どういう形態だったのでしょうか?
ヒポクラテスよりもはるか昔、医療は「経験」に基づいていました。
頭をぶつければ「なでなで」する。お腹が痛ければ「のの字」でさする。
こういった行為が有効と分かればそれが継承されていく訳です。
熱が出てふらふらの人を水に漬けてみる。悪化すれば、その方法は継承されていきません。
「経験上の知恵」が医学だった訳です。
もしかしたらその時代にも、湿布のような役割を果たす薬草のようなものもあったかもしれません。
効果があれば、伝承されていきます。利かなければ捨てられる。

時代が進み、医学は「呪術的」なものになっていきます。
ま、祈りですね。
イエス・キリストが本当に奇蹟を起こしたのか僕は専門知識がないのでわかりませんが、「信じる者は救われ」ますから、プラシーボ効果によって治った人もいるでしょう。

キリストと時代は前後しますが、ギリシャでは「四体液説」が生まれ、中国では「陰陽五行説」が生まれます。
「形而上学」の世界ですね。
ぼくは漢方医学にあまり詳しくありませんが、現代の漢方医学がいまだに「陰陽五行」を基盤にしているのならば、それはちょっとどうかなという疑問を持ちます。

そしてキリスト教が確立し、欧州で中世暗黒時代が1000年も続きます。
それはなぜでしょうか?
「最後の審判」が人々の心を支配したからではないでしょうか?
審判で救われるためには、ひたすら祈るしかありません。
祈りを中心にしたヨーロッパの国々は、経済成長があまりなかったのでしょう。
経済が停滞すればサイエンスは止まります。それが暗黒時代でしょう。
しかしキリスト教への帰依から近代科学が生まれたことも専門家の間では常識です。
ケプラーもコペルニクスもガリレオもニュートンもキリスト教を信じていた。
神様が創った「世界」の真理を追究しようとして「天文学」「数学」「物理学」が誕生した。

これに遅れるように、近代医学も発展します。
そして現在の Evidence Based Medicine となった訳です。

しかし、風邪のような軽い病気ならばともかく、小児がんや肝臓移植など、人の命のぎりぎりの突端に立たされると、医療は Evidence などとは言ってられないんです。
自分の「勘」を信じたり、「経験」を信じるしかない状況に追い込まれる。
そしてその先はもう、祈るしかない。医療とは祈りなんです。
その祈りも、天に通じないかもしれないと思えば、医者にできることは、患者の手を握ることくらいです。

ぼくはそうやって何人ものがんの子どもの手を握ってきました。

こうして自分の四半世紀の歩みを振り返ると、医療って結局は太古のスタイルに戻っていたのだと分かります。
患者さんもそういう医療を求めているのではないでしょうか?