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サイエンスは芸術だ2013年06月05日 22時03分50秒

がん細胞の分化とRNAの変化
僕の友人・知人にはサイエンティストが何人かいます。
科学で生きていくのはなかなか大変というのは先日書いた通りです。
科学者は給料をもらって研究をする訳ですが、研究費が無いと研究ができません。
ではその研究費というのは、給料とは別に、所属する大学や研究所に予算として付いてくるのでしょうか?

実はそういった予算は、話にならないくらい低額なんです。
従って文科省や厚労省から「研究費」をゲットしなくてはなりません。
研究費は無限にある訳ではありませんから、研究者同士で熾烈な争奪戦になる訳です。
そのためには研究計画書を提出して、いかにこの研究が「役に立つか」ということを審査員に売り込まなければなりません。
これが実に大変なんです。
もちろん科学は人のために役立った方がいいのですが、本当にそうでしょうか?

アリストテレスは「人は誰でも生まれつき知ることを求める」と言いました。
ぼくもまったくその通りだと思います。
人に睡眠欲や食欲や性欲があるのと同じように、知りたいという欲が絶対にあるはずです。
これは役に立つうんぬんの話ではない。
人間の根本に結び付いた欲求でしょう。
だから、音楽や美術を求める気持ちと同じ種類かもしれません。
つまり高度なサイエンスは芸術と言っていいと思います。

研究費を取得しようとするとき、どうしても有用性が議論されますが、そういうレベルから卒業できませんかね?
だって日本って先進国なんだから。
宇宙開発だって、本当に実用性ってあるんですか?
あれは人の知的好奇心に応えているだけなんじゃないですか?
それと同じようにライフサイエンスも、生命の不思議を解き明かしてくれるなら、私たちはそれに対して税金を払っても良いのではないでしょうか?

写真は僕が大学院時代におこなった研究のハイライトになった一枚です。
神経芽腫という小児がんの細胞が分化していくに従って、ある「がん遺伝子」の1本のDNAから、3種類のRNAが読み取られ、その比率が変動していくんです。
現像器からこのフィルムが吐き出されてきた時、僕は感動のあまり廊下にへたり込みそうになりました。
こんな美しい絵は、一流の画家さんでもなかなか描けないでしょう。

サイエンスは芸術です。
一流のサイエンティストが研究費申請のための書類書きに忙殺されてはいけません。