アクセスカウンター
アクセスカウンター

外科医は幸福になれない2013年06月01日 20時55分23秒

昨日、アダム・スミスの言葉を引用しました。
幸福とは、「心が平静であること。つまり、最低水準の収入を得て、負債が無く、良心にやましいところがない」と。

医者という職業はなかなか難しいものです。

福島原発事故の最大の失敗は何でしょうか?
みなさんご存じの通り、「事故はあり得ない」と定義していたために、事故への対策が皆無だったことです。
もし事前に対策を立てると、事故が起こりえるという自家撞着に陥るからですね。

こういうことは官僚が決めたのか、政治家(自民党)が決めたのか知りませんが、非常に甘い考え方だと思います。
ま、東京に生活圏を置いている人たちは、田舎の人間の命などどうでもいいと思っていたのでしょう。

医者という生き物は、自分の手の中に患者の命を包み込みます。
従って、人間の命がどうでも良いとは間違っても考えません。
そして人間とはミスをするということを知っていますから、二重三重のシステムで医療ミスを防ぎます。

ぼくが19年間在籍した大学病院(出張病院を含む)の仕事の中で、僕は、訴訟になっても仕方のないような他人(主に部下)のミスを未然に防いだことが10回くらいあります。
では逆にぼくがミスをしたことがあるかと聞かれれば、やはりあります。
だけど、未然に防ぐ防止策があったから患者さんには害はなかった。
従って医療ミスの経験はなく、当然、訴訟になったりはしていません。

だけど、自分の経験したニアミスを、ぼくはこの歳になってもくり返し思い起こします。
そういう思いが自分を苦しめるんですね。
もちろん、悪意でニアミスを招いた訳ではないけど、もっともっと集中力があれば、ニアミスにならなかったと思ってしまう。
良心にやましいところがないか? と聞かれれば、自分の愚かさを呪ってしまう。
こういう感覚は歳をとっても消えることがなく、むしろ年々罪悪感が増大して自己に反問を突きつける。

そういう意味では外科医というのは苦しい生き方です。
若い医学生の外科離れが話題になっていますが、それはやむを得ないでしょう。
内科医が誤るのと、外科医が誤るのでは重さが違うと思いますよ。

心が平静でいるのは難しい。外科医は幸福になれないかもしれません。