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「カウントダウン・メルトダウン 下」(文藝春秋)船橋 洋一2013年04月11日 21時48分25秒

カウントダウン・メルトダウン 下
上巻に続いて下巻も読了しました。
大宅賞を受賞するのではないかと先日書いた通りの力作です。
しかしぼくにはこの本に少し疑問があります。

皆さんは夢枕獏さんの小説を読んだ経験はあるでしょうか?
サイコダイバー・シリーズとか飢狼伝シリーズとか。
どの本を読んでもめちゃめちゃ面白いですよね。
夢枕さんは、一つの文章を書くごとに改行します。
それによって独特のリズムがでるんですね。特に格闘場面で。
こんな方法もあるのかと感心したものです。

さて、「カウントダウン・メルトダウン」も同じように文章ごとに改行してあります。
段落とは何でしょうか?
それは、塊としての意味でしょう。思想の最小単位でしょう。
それなのに、文章ごとに改行されると前後の意味のつながりをうまく理解することができません。
なぜこういう形式で書いたのか、ぼくには理解できません。
ここ数年で、読了するのに最も時間がかかった本でした。

そして途中には、脚本のように
細野「○○○○○○○○○○○○」
誰それ「○○○○○○○○○○○○」
といった感じで、取材してきたことをそのまま書いた表現がありました。
これは「取材メモ」そのもではないでしょうか?こういう形式を選んだ著者の意図が分かりませんでした。

SPEEDI に関する章は読むに耐えなかった。
文章として表現する価値があるか分からない、どうでもいい、取るに足らない、すったもんだのやりとりを何故あそこまで詳しく書く必要があったのでしょうか?
それとも読者(=ぼく)にそう思わせることに意味があるのでしょうか?

船橋さんは最終章で自分の意見を表明しています。
でもそれならば、なぜ、上下二巻にわたってロウデータに近いものを出し続けたのでしょうか?
ところどころで解説を挟み、意見を表明しながら書くという選択もあったでしょう。
そういうつもりはなく、事実だけを積み重ねたいならば、最後までそうした方が、より良かったように感じます。

菅さんのリーダーシップを「最大の不幸であり、一番の僥倖であった」と結論づけていますが、ぼくにはこの日本語の意味がよくわかりません。
作者が無理に政治的中立に立とうとした印象を受けます。

以下は本書と関係ない雑感を。

この本の最後になって、福島第2原発ではメルトダウンにならなかったという重要な指摘が出てきます。
つまり第1でも防げたはずですよね。
第1原発の所長さんは何かヒーローのように世評では讃えられていますが、彼の責任は相当重いのではないでしょうか?
厳しい言い方かもしれませんが、トップとはそういうふうに責任を問われるものです。

それから色々なところでくり返し指摘されていますが、菅さんが怒鳴り散らすから官僚が「びびって」情報を上げなくなり意志の疎通を欠いたとか、士気が低下したとか言われています。
この本でもそうです。

彼らはどれだけ甘い世界で生きているのでしょうか??
ぼくが育った外科という世界は、毎日子どもの命に接する訳です。
1800例の手術を行えば、1800回、子どもの命に関わるのです。
上司(教授)から罵声も飛べば、怒声も響きます。
そんなことで一々怯んでいたら、自分の患者を殺すことになります。
士気が低下するって、、、一体どんな緩い会社なんでしょうか?

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