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「ことばと国家」 (岩波新書) 田中 克彦2012年11月16日 21時35分49秒

ことばと国家
20年くらい前から読もうと思いつつ、そのままになっていましたが、今回、読むべき本が途切れたのでAmazonでポチッとしました。

言葉とは一体何なのか、考えれば考えるほど不思議です。
なぜ私たちは言葉を喋ることができるのか?
それは母親が言葉を喋っているからでしょう。

だから「母国語」ではなく「母語」。
言葉を伝承してきたのは、インテリではなく、おんな子どもという訳です。

タイムマシーンに乗って、どんどん過去に遡ると、いったいいつ頃から日本人は日本語を喋っていたのでしょうか?
最初は「あー」とか「うー」だったのでしょうね。
だけど日本文化と密接に関連して日本に言葉が生まれたはず。
だからアイヌ文化に関連してアイヌ語が生まれたはずです。

手話だって同じです。
あれを日本語の翻訳と誤解している人がいますが、そうではありません。
「日本語手話」ではなく、「日本手話」。
聾唖者の中で、文化に基づき自然発生してきた「言語」です。

アイヌ語には文字がありません。
古代の日本人は「書き言葉」の日本語を作るにあたり「漢語=漢字」を輸入した訳です。
漢字の一文字を五十音のどれか一つに当てはめるところから開始して、やがて平仮名を発明し、カタカナを発明し、漢字の音読みと訓読みを発明したのですね。
書き言葉の日本語は今でもどんどん変化(進化?)しています。
たとえば30年くらい前の本を読んでみると、現在ではまったく使われない漢字や慣用表現にぶつかります。

60年くらい前の「近代文学」ではどうでしょうか?
現代文とは、明らかに読点の打ち方などが違っています。
文章の表現の仕方、文章の構造や骨格が今の言葉とは違っていることに気付きます。

私たちは会話を交わすと、何となくその場では分かり合ってしまいますよね?
ところが、「話し言葉」と「書き言葉」は実は違う論理でできている。
だから後で「言った、言わない」になる。
企業によっては社内の会話は電子メールだそうです。
証拠が残りますからね。

「話し言葉」も「書き言葉」もどんどん変化していくでしょう。
「標準語」と「方言」の関係も変わっていくでしょう。
そこには文化が強く影響するはずだし、国家という強制力も関係するかもしれません。

だけど日本人にとって最も論理的な言語は日本語であることは永遠に不変です。
こういうことを自明と言います。