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文学の限界2012年07月23日 21時02分31秒

何度もここで書いていますが、高校生くらいまでは、ばりばりの文学青年でした。
近代文学から現代文学まで、まあ、数はそれ程でもありませんが結構読みました。
梶井基次郎の「檸檬」、田中英光の「オリンポスの果実」、中河与一の「天の夕顔」、田宮虎彦の「足摺岬」などなど、印象深い作品が次々に思い浮かんできます。
現代文学ではなんと言っても大江健三郎。
あの文体、あの表現力。
夢中になって読みました。

そんなぼくが大転換したのは、朝日新聞(当時)の本多勝一さんとの出会い。
大学生の頃です。
ノンフィクションとは何と力があるのだろうと、世界観が変わってしまいました。
しかし今でも、文学は大好き。
音楽や絵画、映画以上の最高の芸術だと思っています。

だけど、文学には限界があって人間を感動させることはできても、動かすことはできません。
大江さんが核状況下の現代をいくら描写しても、原発はなくなりません。
ところがどうでしょう?
大江さんがデモをやれば、世間の風向きは変わるのです。

文学という手段を持っている人が、デモの先頭に立つのは、どうなのか?
文学には限界があるのか? そういうことを考えてしまいました。