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ポリオワクチン勉強会2012年07月02日 21時46分50秒

診療が終わって急いで帰宅して、10分で食事を摂って千葉市保健センターまで出かけました。
千葉市医師会が主催するポリオワクチン勉強会があったためです。
9月から始まる不活化ワクチンの「説明会」かと思ったらそうではなく、本当に「勉強会」でした。
従って、9月から本当にワクチンが入手できるのか、どういう手順でやっていくのかは全然不明。
そういうことは8月にアナウンスするそうです。
従って「単独・不活化ポリオワクチン」を接種できるのは10月になるかもしれませんね。

三種混合ワクチンに不活化ポリオワクチンを組み合わせた四種混合ワクチンは、さらにその先、11月か12月でしょう。

クリニックのホームページやこのブログで告知していきますから、関心のある方は見て下さいね。

天声人語2012年07月03日 23時43分11秒

長女(高校一年)が、現代国語の実力を付けるために、毎日、朝日新聞の「天声人語」を切り抜いて、それを書き写すそうです。
そして、なんと、そのためのノートも発売されており、本日それを購入しました。

天声人語は、ジャーナリズムの観点から見れば、実に何の役にも立ちませんが、娯楽として見るならば、やはりあれほどの名文はちょっとないでしょうね。

字数がぴったりとかいう誉め言葉もよく聞きますが、ぼくはそれは大したことではないと思います。
字数くらいいくらでもコントロールできます。

話の最初が一見関係ない話題から始まるところ、そして最後にオチが付くところなど、ワンパターンと言えばワンパターンなのですが、その最初の話題というのは相当博識でないと書けないと思います。

ま、いろいろとケチを付けましたが、文章がうまいことは間違いないですね。
毎日あの文章を書いて生計を立てているのだから、筆者は幸せな人生ですね。
さらりと書いているのか、捻り鉢巻きで「うーん、うーん」と唸りながら書いているのか。
ま、どっちでも「良い人生」だと思います。

iPhoneノックダウン!2012年07月04日 19時17分13秒

自転車のトップチューブにiPhoneをセットしてサイクリングロードを走っていたら、暑さのために作動しなくなってしまいました。

画面一杯に「温度注意!」みたいな表示が出て。

確かに本機はかなりの熱を持っていました。
本来の使い方を逸脱したらこうなってしまうということですね。

サドルバッグに入れておいたら回復しました。

ももいろクローバーZ「乙女戦争」を聴く2012年07月06日 21時04分52秒

仕事が終わって帰宅の自動車に乗っていたら、Bay FMから何とも不思議な曲が聞こえてきました。
「ももクロ」という女性アイドルグループだそうです。
しかしその曲のリズムと歌詞は、AKB48のようなアイドルソングではありません。
変調ロックと言ってもいいし、ラップも混じっている。
これはかなり不思議だなと思って、帰宅するとYou Tubeで検索してみました。

http://www.youtube.com/watch?v=-72Lje6nwg0&feature=related

うーん、これは相当ユニークな世界観だな。
だけどちょっと調べて見ると、彼女たちには「歌唱」と「ダンス」のかなりの実力があるようです。

いや、ま、何というか。
しかし率直な感想を言えば、なかなかやるな〜という感じでした。
ぼくも負けないようにがんばろう。

取材に出かけました2012年07月07日 23時56分28秒

今日は朝から体調が悪く、一体どうなるかと思いました。
しかし診療はきちんとできました。
ところが帰宅すると本格的に体がきつく、これはいけないと思い、午睡をとることにしました。
何と1時間弱も眠ってしまいましたが、その後は急に元気がでてきました。

さて、そこでかねてから予定していた取材のために夕方から出かけました。

写真に写っている病院のNICU(新生児集中治療室)へ見学に行ったのです。
その後に、新生児科の部長先生に2時間ほどインタビュー。
ためになる話が、これでもかというくらいに出てきて大変勉強になりました。
人生は勉強の連続。
人に学ぶことは本当に大事です。

今日、見て、聞いた話は、いつかどこかで皆さんにお伝えできればいいなと思います。

母親に殺される側の論理2012年07月08日 20時09分19秒

現在、大ベストセラー中の闘病記を読みました。
先天的な奇形のために眼がない状態で産まれてきた娘さんの闘病記です。

ぼくはこの本を読んでいて、娘さんが本当に不憫でした。
なぜならば、母親が娘のことを不憫だと書いているからです。

また、この母親は、産まれてきた娘を見た時に、一緒に病院の窓から飛び降りようとしたそうです。
たとえ話かもしれませんが、同じ記述が繰り返し出てきます。
娘さんの将来を悲観してのことでしょうが、これは、娘さんの側から見れば母親に殺されるということです。

こういう書き方するとどぎついと思われる方も多いでしょうが、子どもの側にたって考えを変えてみると、ぼくの言っていることが理解できると思います。
ジャーナリストの本多勝一さんは、殺される側にいるCP(脳性マヒ)の立場から、常にこういう問題提起をしてきました。

また本書の後半は、出生前診断ができなかった産科医を訴える話が長々と記述されます。
なぜ訴訟を起こしたかというと、産まれる前に奇形が分かっていれば人工中絶を選らんだという訳ではありません。
産まれた時に「おめでとう」と言ってくれなかったことが許せなかったそうです。

本書にもあるように、裁判には数百万円規模の費用がかかっています。
これだけの大金と時間を使って、「おめでとう」と言わなかった医師の態度を責めるのは、僕には悪い意味で常人離れしているとしかおもえません。

またこの医者は、日本語と英語を使える産科医としてニューヨークで勤務しているのですが、実は国籍が韓国であると暴露しています。
日本人に対しては日本名を名乗り、韓国人に対しては韓国名を名乗りと、まるでそれが卑怯であるかのように記述しています。
彼は「英語も喋れる在日韓国人」なのではないでしょうか?
この世代の在日コリアンが日本名を使うのは普通のことであり、そういった出自を暴露することは、人種差別につながりかねない危険さがあります。

さて、この本のテーマは結局何だったのでしょうか?
残念ながら、ぼくには理解できませんでした。
娘さんが本当に不憫でなりません。

「盛岡冷麺物語」(繋新書) 小西 正人2012年07月09日 20時15分31秒

盛岡冷麺物語
なぜこの本が目についたのか、わずか1週間くらい前のことなのに、もう忘れています。
とにかく偶然Amazonで見かけて、これは面白そうだと思って買いました。
中古本です。

薄い本なので、あっと言う間に読んでしまいました。
面白かったのですが、量があまりに少ないので、それは物足りなかった。
冷麺ではなく、人間を描いていると断りつつ、なんだか後半は冷麺の話になってしまった印象も。
もっともっと人間を書けば、この何倍もの量と面白さになったような気がして惜しいです。

ところで、盛岡冷麺。
美味しいですよね。
ぼくは大好きです。

「日本の路地を旅する」 (文春文庫) 上原 善広2012年07月10日 20時47分00秒

日本の路地を旅する
文庫本になったので早速買いました。
大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品です。
期待が大きすぎたせいか、あんがい、あっさりと読了してしまいました。
上原さんは、たぶん、ぼくよりも全然年齢が若く、そういう若さが文章に表れているなと思いました。

巻末の解説は西村賢太さんで、案の定、性犯罪を犯した上原さんの兄を描いた最終章に話が及びます。
だけど、ぼくには、この章は、本全体の中からは浮き出ているような感じを受けました。
もちろん悪い意味です。

「路地」という言葉は中上健次さんの造語です。
「被差別部落」のことを言っている訳です。
しかし現代の被差別部落はかつてのように細かい路地が入り組んだ小さい家が密集した状況ではなくなっていますから、この言葉は時代から取り残されていると思います。
路地という単語を使わなくてもよかったように思えます。

旅の一つひとつを丁寧に描いて、紀行文としてとても味があったと思います。
これだけの筆力があれば、路地でなくても旅行記が書けるだろうなと感じました。

大学病院を訪ねる2012年07月11日 22時28分13秒

午前中で診療を終えて、夕方から千葉大病院へ行ってきました。

産科のドクターに、赤ちゃんや胎児に関する生命倫理を伺いに行ったのです。
この分野には、例の赤ちゃんポストの問題のように倫理的な多くの矛盾が存在します。
そういう不都合が結局、全部、産科ドクターに押し付けられているような気がします。

日本の法律では胎児に人権は認められていない反面、小児外科医は胎児治療などと言って、子宮内の赤ちゃんを手術しています。
産科の先生も、双体間輸血症候群の赤ちゃんに対してレーザー治療を行っています。
ええ、もちろん胎児は保険証を持っていませんから、保険は利きません。

不妊治療で生命を作り出す一方で、生命を選別して終了させる仕事、産科とは本当に大変な職種です。
なにかと言うと訴訟を起こされるし。

今日もたっぷりと赤ちゃんの生命倫理について考え込みました。

気力・体力ともに落ちる2012年07月12日 19時13分49秒

50歳という年齢はけっこう難しいかもしれません。

40歳の時は、自分としては人生の絶頂にありました。
手術はどんなものでも自分にできると思っていたし、実際のところ、自分よりうまい手術は見たことはありませんでした。
研究も同じ。
自分より業績が上と思える先生は、日本で一人だけ。
しかし創造性ならば自分が上だと思っていました。
つまり最高のパフォーマンスを発揮していた訳です。

それがひとつの病気ですべてがチャラになり、もしや第二の道を誰かが用意してくれるのではと、今にして思うとアホのような幻想を抱きましたが、そういったことは一切なく、自分で道を切り開き、開業医になった訳です。

開業して7年目になりますが、良い意味でも悪い意味でも多くのことに慣れた。
若葉区でナンバーワンの小児クリニックではないかもしれませんが、みつわ台ではそれなりの役目を果たしているでしょう。

だがしかし、自分のこれからの人生に一体何が待っているのか?
ぼくの10代後半は非常に内省的に生きて、このままでは破瓜型精神分裂病(統合失調症)になってしまうのではないかと心配し、関係する本をたくさん読んだものです。
今でもぼくの書棚にはRDレインの詩集などがあります。
このことがぼくが医者になったきっかけの一つなのですが、これまでの50年を振り返ると「医者」という人生が本当によかったのか、強く疑問に感じます。
あの頃の内省的な気持ちが、今、30数年の時を隔ててまた蘇っています。

60歳になると人生の終末が見えるでしょう。
そこで何かを悟るかもしれません。
しかし50歳というのは、悟りに至る手前の怯えの時間なのではないでしょうか?

この1年間自転車を漕いで急激に肉体的な健康を取り戻しました。
ところが一転、老化による体力の減弱をここ数カ月の間に痛感させられています。
すると自分の人生はつるべ落としなのかと恐怖感すら抱きます。
体力が落ちると気力が落ちます。
幸いにして診療は、力を入れてきちんとできていますが、あまった時間をどう充実させるかと考えると、半ば呆然と放心してしまうこともあるのです。

前を向いて進んでいくことがなかなか難しく、どうしても思考が後ろ向きになります。
老人の繰り言、そのものですよね。
朝、通勤の時にラジオから、モンゴル800の「小さな恋のうた」のカバーが流れますが、あれを聞くとどうもよろしくない。
なぜよろしくないかは、ちょっと書けないけど。

生きることの意味を探るために、哲学や宗教があるのかもしれませんが、ぼくの考えでは、「意味」の以前に「存在」があると思います。
だから意味を考えても意味がない。
生きるために生きるというのが正解でしょうね。