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「いのちの灯台」(明石書店)佐藤 律子2012年06月12日 22時21分31秒

いのちの灯台
我が子の死を語る親の物語です。

職業作家が書いた文章ではありませんからうまい文章ではありませんがだからと言って心に響かないなんてことも全然ありません。
まあプロの作家でも文章があまり上手ではない人はいくらでもいますから。
プロの外科医でも手術がうまくない人がたくさんいるのと同じです。
そもそもプロとアマの差なんてそれで生計を立てているかどうかの違いにすぎません。
優劣とは関係ないんです。
立花隆さんはプロの評論家ですがプロの法律家でも医学者でもありません。
だけど著作を読めば分かるようにプロの法律家や医学者よりも立派な議論をします。

ちょっと話が横にそれましたが市井の人達には彼らなりの文体の良さがあります。
変にうまくなるとぼくみたいに見苦しくなりますから素直に書くのが一番でしょう。

九組の親子の物語をしみじみと読ませて頂きました。

高山文彦さんにお会いする2012年06月13日 21時05分51秒

仕事が終わって講談社へ出かけました。
ノンフィクション作家の高山文彦さんにインタビューするためです。
『火花 北条民雄の生涯』で、第31回大宅壮一ノンフィクション賞と第22回講談社ノンフィクション賞を受賞した大作家ですね。

今回インタビューしたのは最新刊「どん底」をめぐってです。

前回の森功さんのインタビューと同様に大変盛り上がりました。
記事がまとまったらWEB「g2」に掲載予定です。

お楽しみに!!

社会と接点を持たない学問2012年06月14日 21時41分51秒

ちょっと必要に迫られて雑誌「小児外科」のバックナンバーを何冊も読んでいます。

専門書ですから専門家だけが理解できれば良いわけで一般の方あるいは世間と接点を持つ必要はありません。
現在読んでいる号も巻頭に業界の大物先生が文章を執筆していますがこれがもうほとんど専門家のぼくが読んでも意味が理解できない。
雑誌「小児外科」の読者は日本で何千人いるか知りませんがこの論文を最後まで読んだ小児外科医は十人もいないのではないでしょうか?

なぜこんなに読みにくい文章なのでしょうか?
それは小児外科学という学問が浮世離れしているからでしょう。
社会と接点を持とうとしないために言葉までそれにつられて成熟しないのだと思います。

小児外科という医療が何をする科なのか昔から理解されていないことを小児外科医は嘆きますがその最大の理由は患者が極めて少ないからです。

昔ある小児外科医がこう言いました。
「成人外科医は毎日大きなことをしている、しかし、すごいこはしない。小児外科医は毎日たいしたことをしていない、だけど、時にすごいことをする」。
なるほどと思いました。
つまり成人外科医は毎日胃がんや大腸がんの大がかりな手術をするわけですがそれってはっきり言って外科医ならば誰でもできるのです。
一方小児外科は毎日鼠経ヘルニア(脱腸)の手術をやっているわけです。ところが年に数回医学書にも載っていないような複雑怪奇な先天奇形の赤ちゃんを手術で治して見せたりするのですね。
このギャップの激しさが小児外科の特徴でありまた社会性のなさにつながっていると思います。

昨日講談社で雑誌「g2」の新編集長に挨拶したところ「小児外科というのはどこを手術するのですか?」と聞かれたので「子どもの腹の中です」と答えました。
すると編集長さんからは「あ、心臓ですね」との言葉。
もうこの会話は過去25年に250回くらいしています。
心臓は胸の中。
ぼくは心臓に触った経験はありません。

原稿で忙しい2012年06月16日 23時11分35秒

昨日はブログを書きませんでしたが、それは余りの忙しさにうっかりしてしまったため。
実は今日も忙しい。
仕事を終えてからずっと原稿を書いています。
もう8時間以上書いているかもしれない。

なので、今日もこれにて終了。

「ダウン症の子をもって」 (新潮文庫) 正村 公宏2012年06月17日 23時09分53秒

ダウン症の子をもって
10年以上前に読んだ本ですが、ふと気になって読み返しました。

10年一昔と言いますが、ぼくもやはり10年の間に老化もしているし、同時にまた人間として根が深くなっている。
自分の子どもも10歳の年齢を重ねた訳で、自分の生き方とか家族のあり方、そして障害と社会の関わりに関して洞察が深くなりました。

要するにこの本を読んで非常に感動してしまいました。

21トリソミーとは何でしょうか?
病気ではない。
障害を有するが、障害の一言では言いくるめられない。
個性などと言うと、カッコつけているだけで傍観者みたいだ。
染色体異常? そんな冷たい言葉は似合わない。

健常児と言われる子ども達は、1歳で歩き、2歳で2語文を喋り、3歳で自分の名前を言える訳です。
ですが、ダウン症の子ども達にとっては、こういった時間のスパンは意味を持ちません。
時間の流れが違うんです。

私達の20年が、彼ら・彼女らの3年くらいかもしれない。
つまりそういった時間の感覚が意味を持たないのでしょう。
年齢を超越している、歳月は眼中にない、ということでしょう。

筆者の提唱している「福祉社会」のあり方は、これまでぼくが考えて来たこととほとんど完全に同じと言っていいでしょう。
というか、ぼくが曖昧に考えて来たことを正村さんが明確な文章で形にしているということのみが、違いです。

不十分な社会の福祉体制や、お子さんに対する苛めなどに対しても決して感情的にならず、しかし同時に甘い幻想も抱かずに現実を見詰めていく姿は実に立派だと思いました。

私達はもっと精神的に成熟する必要があると思います。

民主党が事業仕分けをすれば拍手喝采し、ところが「ハヤブサ」の物語に感動すると研究費をもっと付けろと批判し、生命保険会社のCMにダウン症の子どもの写真が出れば感動したと絶賛され、人気漫才師の母親が生活保護を受けていれば制度を見直ししろと大騒ぎになる。

本当に私達は私達を幸福にしている一流の国に住んでいるのでしょうか。

福祉社会を発展させる上で、もっとも重要なことを一つだけ挙げれば、それは障害者と健常者の交流だと思います。
無知は無理解になり、無理解は偏見につながります。
そして偏見は人間を殺す側に転ばせます。

ぼくの自宅は障害者の通所施設の目の前にありますので、うちの子ども達はそういった人たちを見て育ちました。
とても良い環境で育ったとぼくは感謝しています。

Rainbow Rising!2012年06月19日 19時14分30秒

Rainbow Rising!
昨日もブログを書く時間がありませんでした。
原稿執筆に集中していて気が付けば24時を回っていました。
だけどこんなことは大学病院に在籍していた頃は当たり前。
下らない内容の仕事が多かったけど毎晩遅くまで仕事をしていました。

ですがここ最近のぼくの原稿書きはおもしろくてやっているわけですから文句など何もありません。
いやはっきり言えば文字を書いたり編集するのは時間を忘れる。
大学時代にあれほど事務仕事に強かったのはぼくが文字好きだったからでしょう。

さてそんな原稿書きですが音楽の友も欠かせません。
最近はなぜかJazzよりもRock。
でもってiTuneで購入したアルバムは「Rainbow Rising」でした。
若干子どもっぽい作品かなという気もしますがやはり耳にすればノリノリになります。
ロックンロール万歳!

「はやとくん、おうちに帰ろう」藤田 美保 (書肆侃侃房)2012年06月20日 23時26分08秒

はやとくん、おうちに帰ろう
13トリソミーをもって生まれ、9カ月で人生を終えるはやと君の物語です。
子を愛する両親の気持ちが痛いほど伝わって来ます。
そしてはやと君の家族をサポートする医療関係者たちの熱意と愛情も強烈に伝わって来ます。

はやと君のママには珠玉のような言葉がいくつもあります。
こういう言葉を集めて作られた本です。

いろいろなことを考えさせられましたが、まだそれを分かりやすい言葉で表現できる自信がありません。
もう少し自分の考え方を発酵させてから、どこかの機会で語ってみたいと思います。

藤田さん、良書を有り難うございました。
はやと君、がんばったね。カッコよかったぞ。

ぼくが感動したこと2012年06月21日 19時32分22秒

ぼくはこれまでに三冊の本を講談社さんから出版させていただきました。
それらの原動力は、自分が実際に体験した感動にあります。
だけど、もちろん、ぼくが味わった感動は、本に書いてあるものだけではありません。

本に描いたのは、小児がんの子どものたちの物語です。
だけどドラマは他にもあります。

忘れられないのはK君の闘い。
胆道閉鎖症で、通常の手術では経過が悪く、ママからの肝臓移植が必要になりました。
千葉大病院の歴史で初めての肝臓移植。
その準備のためにぼくたちがどれだけ多大な辛苦に耐えたかはここで書く必要はないでしょう。
京都大学から田中先生をお招きして、千葉大病院の総力を結集して手術に臨みました。
その壮絶な手術は筆舌に尽くし難いものがあります。

手術が終わってICUに収容されたK君。
だけど、ドレーンと呼ばれる排管からはドバドバと大出血。
正直に言います。
ぼくはこの子は助からないと思いました。
なぜならば、術後出血というのは大変その後の経過が悪いもので、助かった子どもを見た経験が無かったからです。

肝移植のリーダーを務めた先生はもう一度お腹を開けようと言いますが、ぼくは、諦めざるを得ない可能性も頭をよぎりました。
その時に、小児外科のリーダーであったO先生が、両親の意見を聞いてみようと発案しました。
ICUに、パパと肝臓を摘出されたばかりのママが車椅子でやってきました。
その時の両親の神々しい姿。
どんなことがあっても、うちの子どもを助けてくださいという決然たる態度。

ぼくは猛烈に感動してしまいました。
こんなに意思の強い両親の姿を見るのはぼくの医者の人生でも初めてでした。

再手術を行い出血をすべて止めて、K君は命を手に入れました。

あの時のパパとママの姿。
決然たる美しい姿。
ああいう感動を本にして伝えることができればいいなと、心の底から思います。

今日も書くぞ2012年06月22日 23時46分25秒

原稿で忙しい。
よってブログは休筆です。
また明日!

「別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判」(講談社)佐野 眞一2012年06月23日 22時59分45秒

別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判
現在ベストセラー中の話題の本です。

この本を読む前は、なぜ佐野さんがこの事件に興味をもったのかよく分かりませんでした。
「東電OL殺人事件」では、その理由がとても分かりやすかった。
でもこの事件はいろいろな意味で、「東電事件」とは逆の関係にあります。

だけど読み進めていくうちになんとなく分かってきました。
それは一言でうまく説明できないけど、「情念」がない連続殺人事件だからこそ、佐野さんは興味をもったのではないでしょうか?

本事件は、状況証拠のみで被告には死刑が言い渡されます。
そんなことで、死刑という判決が下っていいものかと思いましたが、やはり状況証拠にも相当な説得力があります。
前日の夜が快晴で、翌朝になったら一面雪が積もっているーーーーこれは夜間に雪が降ったと解釈する以外にないというのが検察の言う状況証拠の重要性です。

たしかにこの本を読めば、被告以外に犯人がいるとは考えられません。

この被告は膨大な「状況証拠」を残しています。
これが不思議です。
杜撰と言ってもいい。
「情念」に駆られた犯行ならばそれも分かる。

だけどこれは「計画的な犯行」。
それなのに、被告以外には犯人があり得ない証拠の数々。
大量に睡眠薬を手に入れて、大量に練炭を手に入れて。

手に入れた事実も隠蔽されていないし、現場や被害者の体内には練炭や睡眠薬。
これはなぜでしょう?
ある意味、ばれるに決まっているでしょう。
ばれてもいいと思っていたのではないかと思ってしまいます。

読み進めていくほどに、本の面白さが理解できました。
一番良かったのは、本の終盤で述べられる佐野さんの社会論。
事件の背景と今の社会環境を分析していますが、もうちょっと長く佐野さんの話を聞いてみたいと思いました。

さて、本書でも、いわゆる「佐野節」は健在で、やはりこの方の本の最大の魅力は、佐野さんが書いているという事実にあるような気がしました。