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「つなみ」の子どもたち (文藝春秋)森 健2012年03月31日 21時03分24秒

「つなみ」の子どもたち
東北大震災の津波の惨状を伝えるために、被災地の子どもたちに作文を書いてもらい、その結果できたムックが「つなみ」。
本書では、その作文を書いた子どもの家族を長期に取材して書かれた作品です。

「はじめに」でそういう風に説明されると、では子どもの作文では不十分だったの?とか、最初から子どもではなくて、親に取材しておけばよかったのでは? という疑問がわいたことは否定できません。

しかし、本書を読み始めるとどんどん話に引き込まれて、気が付けば目頭が熱くなっていました。

東北の復旧・復興とかって簡単に言いますが、若い人には充分な時間がありますが、50を過ぎた人には人生の残り時間があまり無いんですよね。
10年かけて産業を復興させても、現在50歳の人は、還暦になってしまいます。
それを考えると、津波で生活の経済的な基盤を失った人は、これからの人生をどう再建するのかというのは、本当に厳しいと知らされます。

新築の家を津波で流された人もいます。
30年のローンだけが残り、家屋は流出。
これから家を建て直すにしても、家とはなんぞや、という逡巡にぶつかります。
家というのは、家族が集まる場所であり、家族とは人間同士の絆の最小単位にして、最強の単位なんですね。
しかし子どもは成長しますので、やがては家を出て行きます。
現在、仮設住宅で暮らしている人が、自宅を今後建てたとしても、その家からはすぐに子どもは巣立っていくわけです。

だから、こういった震災は残りの人生の長さを考えると、時間との戦いでもあるのです。

妻を失った男性の話には本当に心を打たれました。
「一番大事なのは娘、一番大好きなのは妻」と言っていたご主人が、DNAの型が一致した遺骨と対面する場面は、文字が滲んで見えました。
このご主人は、自分の娘(小学5年生)と、母親に関する会話ができないでいました。
ところが、娘の作文を読んで、行方不明の母親をどう思っているのかを知るのです。

ぼくは、ここに至って、この本が成り立っている理由が理解できました。
津波を見た子どもが書いた作文。
それを読む家族。
それによって、会話ができない内容でも、作文を通じて家族が心を通い合わせることができるのです。

「終章」にルポルタージュとは全然語り口の異なる「解説」が述べられていますが、ぼくは、むしろその章は無かった方が本の完成度は高かったような気がします。

また、森健さんの本を読むのは初めてですが、過剰でない、不足でない、とても綺麗な文章を書く人だなと感じ入りました。

東日本大震災をどう描くかという大きなテーマに対して、ノンフィクション作家は誰もが考え抜いていると思います。
森さんが選択した方法がどう評価されるのか、イージーには言い切れないのですが、本書はとても良い本だと思います。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するかもしれませんね。